2006年08月16日

競馬MEMORY〜第11話〜

競馬MEMORY〜第11話 受け継がれた血筋〜

エイシンプレストンが朝日杯以後、日本のG1を勝利できなかったということはすでに書いたが、その中でも1番惜しかったのは、2着との着差がクビのマイルCSだった。
そのときのマイルCSの勝ち馬はトウカイポイント。セン馬だった。5歳の秋にようやく完全なオープン入りを果たすがぱっとしない。いきなり6歳で中山記念を勝利し大穴を明けたが、その後は人気も成績も両方とも低いまま。フロックと思われたが札幌記念でいきなりものすごい追い込みで2着に飛んできた。
好走をするものの、まだ次の富士Sは6番人気の5着と評価は低く、いい成績も収められない。そんな中、マイルCSに挑戦。評価は低く11番人気だった。騎手は蛯名正義。それでも、ムラはありながらもG1を勝つ力は秘めていたのだろう。エイシンプレストンの追い込み届かず、トウカイポイントがG1を制覇した。これが父トウカイテイオー産駒初のG1制覇となった。
その後は勢いに乗って香港マイルに出走。ここでも3着でアドマイヤコジーンに先着し、完全に力をつけた晩成馬だった。それでも次走の中山記念の人気は2番人気と、なかなか完全な信頼を得ることはできなかった。その中山記念では怪我で競走中止。そのまま引退となってしまった。
父トウカイテイオーは、無敗で2冠を達成し、3冠確実といわれながら怪我で3冠を達成できなかった。その後も度重なる怪我に苦しみ、また天皇賞秋で惨敗した次走いきなりジャパンCを勝利し、その後の有馬記念でまた大敗という成績でファンの信頼も失いつつあった。その1年後、怪我からの復活でいきなり有馬記念を勝利し感動の復活を遂げ引退した名馬だった。トウカイポイントは父とは違って目立つことはなかったが、父同様にムラがあり、最後には怪我で引退。現段階ではトウカイテイオー産駒の最高傑作であり、その親の血をいい面も悪い面も正確に受け継いだ名馬だったのだろう。
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2006年08月10日

競馬MEMORY〜第10話〜

競馬MEMORY〜第10話 中央に響いた名声〜

地方競馬所属の馬で中央競馬のG1レースを勝った馬は岩手のメイセイオペラただ1頭。しかし、メイセイオペラと同時期に活躍した地方の馬がいた。
アブクマポーロという船橋の馬だ。地方では30戦して22勝。圧倒的な強さを誇った。中央への挑戦はオールカマーが初戦だった。もちろん芝に出走することに誰もが戸惑いを感じた。結果は予想通り敗退。本来ならダートで走るべきであった。そしてその2走後、G2の東海ウインターSに挑戦した。そこで、中央でも通用する地方ナンバーワンホースの実力を見せ付けて勝利。そしてその後も地方で勝ち続けた。しかし残念ながら中央のG1に挑戦はしなかった。それでも地方最強馬ということを印象付けた。
その後遅れて来た岩手のスター、メイセイオペラとの時代となった。地方ではこの2頭がとにかく活躍した。しかし、メイセイオペラはアブクマポーロには劣っていた。地元岩手の南部杯で勝利をし、G1タイトルを獲得したものの、その後の対決では再び敗れた。まだメイセイが本格化する前の対決もあったが、4戦1勝とアブクマには勝てなかった。最後の対決は東京大賞典でアブクマポーロの2着だった。そしてその後中央G1フェブラリーSに挑戦した。前走負けていることもあって、アブクマなら勝てるかもしれないという不安と、南部杯での勝ち方が強かったうえ、東京大賞典では中央の馬には負けていないのでメイセイオペラは勝てるという期待の2つに分かれた。
2番人気に推されたメイセイオペラは得意の先行抜け出しの競馬で歴史に名を刻んだ。見事フェブラリーSを制した。もしもアブクマが出走していたらワンツー決着の可能性が高かったという声もあった。
その後アブクマポーロは引退し、メイセイオペラ1頭の時代となった。しかしそれも長くは続かなかった。明らかな衰えで、フェブラリーSから5連勝したものの東京大賞典では11着と大敗。続いてのフェブラリーSでも3番人気とさすがに人気を下げた。
そうはいっても、地方馬の連覇という偉業に期待を寄せた。いくら衰えていても強い馬であることには間違いなかった。その期待を乗せて走った。しかし先行抜け出しで粘ったものの直線で差され4着に敗れてしまった。
地方競馬というものは目立たないものだ。しかしその地方で2頭ものスターが誕生し地方のみならず中央競馬界をもにぎわせてくれた。
なんといっても、ダートグレード競走最優秀馬に1998年アブクマポーロ、1999年メイセイオペラと2年続けて地方の馬が選ばれるということは偉業であった。
歴史に名を刻んだ名馬。地方競馬と中央競馬との差が縮まっていることは言うまでもない。
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競馬MEMORY〜第9話〜

競馬MEMORY〜第9話 復活から世界へ〜

アドマイヤコジーンが勝利した朝日杯の2着馬はエイシンキャメロンだった。そして翌年、1頭の馬がリベンジを狙って出走した。同じエイシンを冠名に持つエイシンプレストンだった。
新馬戦は後の皐月賞2着馬ダイタクリーヴァに敗れたが、次走を勝利して朝日杯に出走してきた。前走0.9秒差の圧勝から4番人気に推された。
ここには1頭の伝説を狙う馬がいた。レジェンドハンター。地方競馬所属で初の中央芝のG1タイトルを手にしようと出走してきた。デイリー杯2歳Sを勝利しての出走だった。同年のフェブラリーSではメイセイオペラが地方競馬所属で初の中央ダートG1タイトルを手にしていた。この馬もなんとしても中央競馬の歴史に名を刻もうと挑戦。1番人気となった。
レースは先行したレジェンドハンターがいい手ごたえで先頭に立った。地方競馬界の悲願達成の瞬間はすぐそこだった。しかし2頭の馬が後ろから飛んできた。そのうちの1頭はレジェンドハンターを交わして勝利し、レジェンドハンターを2着に追いやった。それがエイシンプレストン。レジェンドハンター、そして地方競馬の夢を打ち砕いたのだった。
その後エイシンプレストンは外国産馬のためNHKマイルCの有力候補とされた。きさらぎ賞こそ出遅れ、引っかかり散々なレースだったが、アーリントンC、ニュージーランドTと連勝。次走はNHKマイルCというところだった。しかしここで骨折しG1の2勝目から遠ざかってしまう。
怪我はそこまでひどくなく10月に復帰はできたものの重賞を8戦走りマイルCS5着、ダービー卿CT2着といったくらいの成績でしかなかった。そして次に選んだのはオープン米子S。重賞をあきらめての出走。これが好結果につながった。見事勝利し勢いづいたプレストンはG3北九州記念も勝利した。
苦悩からの脱出だった。その後は関屋記念3着、毎日王冠1着、マイルCS2着とG1馬としての力を堂々と示した。しかし物足りないものがあった。それはG1勝利がないこと。朝日杯の勝利からG1は勝っていない。
そして次走、朝日杯の勝利から2年後にこの馬は海外遠征を行った。香港マイルへの出走だった。この舞台で完全復活を成し遂げた。3馬身以上の差をつけての勝利となった。ちなみに、このときの香港では日本馬がG1を3勝するという史上初の快挙を成し遂げている。
完全復活後、この馬は香港での活躍が主流となった。60キロの斤量はさすがに厳しかった中山記念で敗戦するも、その後挑戦した香港G1クイーンエリザベスCで、史上初となる海外G1日本馬でのワンツー決着を演じた。勝ったのはエイシンプレストン、2着にアグネスデジタルだった。
しかし日本帰国後はまたも苦しい戦いとなる。安田記念で朝日杯を勝利した先輩のアドマイヤコジーンに敗北、その後4連敗。迎えた得意の香港の舞台では不利もあり敗戦。さらにはダートのフェブラリーSにまで挑戦したが6連敗となってしまった。この馬の限界を感じかけた。
再び挑戦した香港のクイーンエリザベスC。昨年の力はなくなっていると思われた。しかしこのレースでプレストンは2着に0.3秒差をつけて勝利を収めた。日本馬初の海外G1を3勝という偉大な記録を打ち立てたのだった。この記録で力を使い果たしたのか、最後は日本で2連敗、得意の香港で7着となり引退となった。
結局この馬は日本のG1での活躍は朝日杯のみとなった。さらには日本での勝利は4歳の毎日王冠が最後となった。アドマイヤコジーンと共に2年続けての苦悩の日々があった2歳王者。しかし2頭とも2歳王者の称号だけでとどまることはなかった。
さらにエイシンプレストンには強く結ばれた絆があった。この馬がデビュー当時、まだデビュー4年目でG1を1勝しかしていなかった福永祐一騎手である。福永はこの馬から離れることはなかった。苦悩の続いた日々も海外も合わせてこの馬の32戦全ての手綱を取った。そうして福永はエイシンプレストンと共に成長することとなった。そうして今や関西のトップジョッキーの仲間入りを果たしている。
日本から海外へと飛翔したエイシンプレストンは、1頭だけでなく福永祐一騎手と共に飛翔していった。
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競馬MEMORY〜第8話〜

競馬MEMORY〜第8話 王者の復活〜

朝日杯FSの勝者というのはあまり出世していないのが現状だ。その昔の朝日杯3歳Sのころは数多くの名馬がこのレースの勝利から出世していった。
3冠馬ナリタブライアンもこのレースを勝利している。そしてあのグラスワンダーが圧倒的なレコードで勝利した翌年のことである。4戦目を3連勝でこのレースの勝利を決めた馬がいる。アドマイヤコジーン。無傷の3連勝で出走してきたエイシンキャメロンを抑えての勝利だった。
もちろんこの馬も出世街道に走るものだと思われた。しかしここで怪我と戦うことになってしまう。2度の骨折で2年近い休養を余儀なくされた。この裏側に、同じ橋田厩舎のアドマイヤベガがいた。良血馬として注目を浴び、朝日杯の後のラジオたんぱ杯を勝利した。そしてアドマイヤコジーンが怪我をしている間にダービーをも制覇した。秋に怪我をして予後不良となった同厩舎のサイレンススズカのためにもなんとしても勝ちたかったのだろう。
しかしアドマイヤコジーンのほうは4歳夏まで帰ってこなかった。復帰初戦はUHB賞。G1ホースの面影はなかった。そしてこのまま1年以上もの間勝ち星から遠ざかってしまう。12戦走って2着が精一杯だった。4歳夏の復帰から5歳の終わりまで勝ちはなかった。
そして再起を誓って迎えた6歳の初戦は東京新聞杯。騎手も後藤浩輝と心機一転、再出発を願った。その初戦は誰もが嫌がる不良馬場での開催となった。人気は10番人気。期待は薄かった。だが不良馬場が先行有利とは言ってもここまで番狂わせが起こるとは思いもしなかった。2番手でレースを進めたアドマイヤコジーンは直線抜け出し、まさかの勝利を収めた。
誰もが驚いたこのレース。しかしそれは決してフロックではなかった。次走の阪急杯では2番人気となり見事すぎるレース運びで2着と0.6秒もの差をつけての勝利。完全復活を思わせた。しかし次走高松宮記念では快速馬ショウナンカンプから先頭を奪うことができず2着に敗れた。
ただこの馬の得意な距離はマイルだ。朝日杯も1600mだった。そしてその舞台での対決となった安田記念。しかし人気は高松宮記念の2番人気から7番人気まで下がっていた。1つ下の世代の2歳王者エイシンプレストンが1番人気に推されていた。しかし3年以上の勝ち星に恵まれなかったアドマイヤコジーンは、ここでようやく汚名を完全に払拭した。大外枠ながらこのG1安田記念を勝利し、G1ホースの完全復活を見せ付けたのだった。
6歳ということもあり、復活したのは引退間近だった。この後の3走は全てG1レースに出走。全て敗れてしまったが、最後には香港マイルにも出走し勝ち馬とクビ、ハナ、ハナ差まで詰め寄った。
引退後、種牡馬入りしこの馬の産駒がデビュー。種牡馬としても波乱の生活を送るかもしれない。しかし、アドマイヤコジーンがマイルの王者であったことは間違いない。
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競馬MEMORY〜第7話〜

競馬MEMORY〜第7話 快速スプリンター〜

脚元が不安でデビューからダートで過ごす馬は多くいる。そして年をとって芝に挑戦する馬は多々いる。そんな馬はなかなか出世しないものだ。しかしこの馬は芝に挑戦することで真の力を発揮した。それがショウナンカンプだ。
芝のレースを使うようになり、山城S、オーシャンSと先頭を譲ることなく連勝。着差は共に0.4秒。完勝だった。山城Sでは後のG1馬となるビリーヴにも勝利していたうえ、逃げ馬ながら上がりタイムが1番速かったことからスピード能力の高さが分かる。
そして次に挑戦したのはG1高松宮記念。ここにはG1馬トロットスターやスティンガー、アドマイヤコジーンの姿があった。しかしこの馬には関係なかった。圧倒的なスピードを中京の舞台でも見せつけ見事な逃げ切り勝ち。0.6秒もの差をつけた。ちなみに、G1になってからの高松宮記念を逃げ切って勝利した馬はこの馬1頭である。重賞初挑戦、芝3戦目でいきなりG1を制覇した。
この後、函館スプリントS、スプリンターズSと挑戦するも直線で失速。惜しくも敗れてしまう。そしてスワンSに出走。初の芝1400mという距離と斤量59キロに不安はあった。しかしこの馬のスピードは変わらなかった。見事逃げ切っての勝利。2着との差は0.5秒差だった。
圧倒的なスピードを誇ったこの馬はG1香港スプリントに挑戦した。しかしここでは10着と大敗する。ただ、この馬のスピードは計り知れないものがあった。帰国後の阪急杯では59キロを背負いながらサニングデールやビリーヴを相手に見事なスピードで0.4秒もの差をつけて勝利した。
次は連覇を狙った高松宮記念。相変わらずこの馬の軽快な逃げは続いた。1200mという短い距離をグングン逃げた。しかし7着と大敗。残念ながらこの後スピードのある馬に発症しやすい屈腱炎で引退となってしまった。
しかしこの馬はスタートダッシュで先頭を譲ることはなかった。さらに勝つときは圧倒的な差をつけた勝ったことからも、調子がよければかなりのスピードとスタミナをもっていた馬だ。計り知れないスピードと実力のあったこの馬はスプリント界の王者と言ってもおかしくない。
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競馬MEMORY〜第6話〜

競馬MEMORY〜第6話 世界を制する遅れてきた大器〜

この馬の競走馬としての始まりはあまりよくなかった。というものの、ゲート試験に3回落ちたために3歳4月のデビューと遅れをとってしまった。しかしそこからは違った。
未勝利、500万とダートを連勝。つづいては芝のオープン菖蒲Sも勝利。タイキシャトル。見事な3連勝だった。
そのころ、この馬が得意とするマイルのG1NHKマイルCを牝馬シーキングザパールが勝利していた。もちろんこの馬としてはデビューが早ければこのレースをという思いはあったはずだ。菩提樹Sではまさかの逃げ切りを許し2着に敗れるも、デビューの遅れの鬱憤を晴らすかのように、久々のダートでG3ユニコーンSを勝利。さらに勢いに乗ったまま古馬との対決G2スワンSで対戦した。この馬の勢いはとどまるところを知らなかった。
スワンSを勝利し、G1マイルCSに挑んだ。キョウエイマーチの引っ張るハイペースにも屈することなく見事な先行押し切りで2馬身半の差をつけて完勝。見事G1馬となった。さらにはスプリンターズSにも挑戦。ここでも変わることなく先行押し切りで0.3秒差の勝利。同一年に秋短距離G1を連勝した馬はこの馬が初めてだった。これによって3歳ながら最優秀短距離馬に選ばれた。
翌年は京王杯SCから始動。休み明けでも強さが変わることはなかった。見事なレコードでの勝利。タイキシャトルに敵はいなかった。さらには安田記念に出走。大雨で不良馬場となり少し不安もあった。さらにはここで3歳マイルチャンピオンのシーキングザパールとの初対決となった。世代最強の称号をかけての勝負。しかしシーキングザパールは10着と惨敗。タイキシャトルは見事な勝ちっぷりで人気に応えて勝利。タイキシャトルの強さが目立つ結果となった。
その後、タイキシャトルは海外遠征を発表。さらには敗れたシーキングザパールも海外に行くことを表明。2頭が夏に海外での競馬を行うことになった。
先に走ったのはシーキングザパール。安田記念の惨敗で評価は低かった。しかしその低評価を覆して見事海外G1を制覇。これが日本調教馬初の海外G1制覇となった。これによってタイキシャトルには勝って当然といわんばかりの期待があった。シーキングの勝利から1週間後、タイキはフランスのG1ジャック・ル・マロワ賞に挑戦した。先週の日本馬の活躍もあり海外でも圧倒的1番人気。その周囲の期待に応え、見事日本馬の2週連続海外G1制覇という偉業を成し遂げた。
帰国後は見事マイルCSを連覇。5馬身という差をつけての圧勝でマイル路線に敵はなかった。そして次走のスプリンターズSで引退と決まった。さらにはレース後の引退式も決定となった。
レース当日、タイキシャトル一色に染まった競馬場はタイキシャトルの完勝とその感動のまま引退式が行われることを誰もが予想した。単勝は1.1倍まで下がった。いつものごとく先行抜け出し。そして最後の直線に向いてここから突き放すはずだった。しかし伸びきれない。後ろから2頭の馬が迫ってきていた。その中にあのシーキングザパールがいた。徐々に迫り来る2頭。そしてアタマ、クビ差交わされ3着に敗れた。
1着はマイネルラヴ。タイキシャトルの1つ上の最強世代と呼んでいるあの世代の1頭で、グラスワンダーが勝った朝日杯の2着に入線した馬だった。マイネルラヴ、グラスワンダー、アグネスワールド、エルコンドルパサー、スペシャルウィーク、セイウンスカイ。ほかにも5歳で高松宮記念を制したキングヘイロー。さらに安田記念でグラスワンダーを負かし、G1を2勝したエアジハードと非常にレベルの高い世代だったことに違いはない。
そして2着にシーキングザパール。最後の最後で直接対決に敗れてしまったがこの馬との対戦成績は3戦2勝だった。しかしその数字以上にこの2頭にはつながりがあった気がするうえ、日本だけでなく世界でも競馬を盛り上げてくれた。
まさかの敗れての引退式。しかも連対をはずしたことは今までなかったのだ。そうはいっても、ユニコーンSからマイルCSまで続いていた重賞8連勝は新記録。さらには短距離専門の馬で初めて年度代表馬にも選ばれた。極めつけにフランスの最優秀古馬にまで選出された。
マイル7戦7勝。日本競馬史上最強のマイラーの呼び声も高い。ただ、有馬記念ファン投票で8位に選ばれたように、例の最強世代グラスワンダー、エルコンドルパサーなどとの対決を見たいという声もあった。その願いはかなわなかったものの、タイキシャトルは彼らが達成できなかった、顕彰馬入りを果たした。今は種牡馬生活を送っている。この馬の強さを引き継いだすばらしい短距離馬を輩出してもらいたい。
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競馬MEMORY〜第5話〜

競馬MEMORY〜第5話 世界のスピード王〜

最強世代と書いたエルコンドルパサー、グラスワンダー。この2頭は主に中距離で活躍した。しかし短距離でも世界で大活躍したスプリンターがいた。アグネスワールド。
新馬、函館2歳Sと勝利した後、骨折。朝日杯はぶっつけ本番となった。そのレースであのグラスワンダー、マイネルラヴ、さらには怪我によって3戦2勝で引退となった3着の実力馬フィガロに続く4着と健闘した。ちなみにこのフィガロは、引退後は種牡馬となっている。活躍が期待された最強世代、朝日杯出走組の中の1頭だ。
その後地方で全日本2歳優駿を勝利し、シンザン記念に挑んだ。しかしこのレース2着となってまたもや骨折。1年もの長期休養を余儀なくされた。
復帰後はシルクロードSで2着などの善戦はあったものの以前の強さとは程遠いものがあった。しかしこの馬のスピード能力の高さが発揮されたのは夏競馬、小倉競馬場だった。
北九州短距離S。騎手は久しぶりに武豊。前半3Fを32.3秒とスピードで押して逃げる。そして後半3Fも大きくバテることなく34.2秒で押し切った。2着とは0.7秒差。そしてその勝ちタイムは見事なものだった。1分6秒5。未だ破られていない芝1200mの日本レコードだ。次走の小倉日経OPも勝利し、完全復活を果たした。陣営の期待を背負って海外に。フランスのG1アベイユ・ド・ロンシャン賞に挑戦した。もちろん鞍上は武豊。不良馬場の芝1000mだったが、見事勝利を収め、海外G1を制覇した。
日本帰国後は、当時は冬開催で、このときは小倉競馬場開催だったCBC賞を勝利し、スプリンターズSへ。もちろん1番人気に支持される。しかし2着。そして翌年の高松宮記念は3着。世界のスプリンターがなぜか日本G1は勝利できなかった。
その後、この年も海外遠征を行ったが、初戦のG2は2着と敗れた。しかしG1ジュライCで優勝し、海外G1を連勝する。そして今度こそと期待されて出走した日本のスプリンターズS。しかしまたも2着と日本のG1で勝利できなかった。
最後、引退レースとなったのはアメリカのBCスプリント。ダート戦での敗戦だった。
華やかな中距離戦線とは違う短距離戦線で、圧倒的にスピード能力に長けていたこの馬。中央競馬では函館競馬場2戦2勝、小倉競馬場3戦3勝という成績だったが、中央の他の競馬場では勝てなかった。どうも最後の直線の坂が弱いと考えられたこの馬だが、このトップスピードは最強世代を代表する1頭として選んでもおかしくはないだろう。日本G1に恵まれなくとも、海外で名を轟かせた名馬だ。
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競馬MEMORY〜第4話〜

競馬MEMORY〜第4話 最高峰の3強対決〜

エルコンドルパサーが唯一国内で負けたレースは毎日王冠。このレースは20世紀最高といっていいほどのG2だった。
1番人気は大逃げで国内最強古馬として名を馳せていたサイレンススズカ。59キロの斤量を背負いながらも単勝1.4倍と圧倒的支持だった。
2番人気は怪我から復活した2歳王者グラスワンダー。最強世代の1頭。
3番人気はNHKマイルCを勝利しグラスワンダーの怪我中に大活躍していた最強世代の1頭エルコンドルパサー。
まずはエルコンドル、グラスの主戦騎手的場均が注目を浴びた。どちらに騎乗するのか。ここで的場均はグラスワンダーに。そしてエルコンドルパサーは蛯名正義。この蛯名正義は、ここからエルコンドルに騎乗し続け海外G1も制覇することになる。
この日はG2としては異例の13万人が東京競馬場に駆けつけた。
レースはサイレンススズカが予想通りマイペースながらハイペースの逃げで後続を引っ張る。大逃げとまではいかなかったが確実な逃げだった。4コーナーあたりでグラスワンダーが仕掛ける。さらにエルコンドルパサーもやってくる。怪我の影響か、グラスワンダーは伸びを欠いた。マイペースで逃げるサイレンススズカを追いかけるエルコンドルパサー。しかし、開幕週のきれいな馬場の内の2枠から逃げるサイレンススズカの勢いは衰えなかった。逃げておきながら上がり3F35.1秒で走った。追い込んだエルコンドルパサーで35.0。いかにサイレンスの走りが上回っていたか分かるだろう。蛯名正義が「影さえも踏めなかった」と発言するほどの強さだった。そしてG1でもないのにウイニングランまで行われた。
結果、1着サイレンススズカ。2馬身半差で2着エルコンドルパサー。大きく離れた5着にグラスワンダーだった。
G2の舞台での対決。ここまで強い馬が溢れた時代。さらにその馬達が一度に集った名勝負。稀に見る最高の戦いが、府中のG2で行われた。そしてこのレースが、サイレンススズカの最後の勝利となったのだった。
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競馬MEMORY〜第3話〜

競馬MEMORY〜第3話 日本一の証明〜

新馬、アイビーS、京王杯、朝日杯とあまりに強すぎた4連勝。朝日杯では初の1分33秒台の2歳コースレコードで優勝。2着との着差も0.4秒と圧倒的な強さだった。外国産馬のため3歳の目標はNHKマイルCしかなかった。そうしてグラスワンダーは最高のスタートを切り、3歳、4歳での大活躍を期待された。
3歳になり、ニュージーランドトロフィーに向けての調教中、骨折で休養に入る。結局復活は秋の毎日王冠になった。しかしこの復帰後初戦はふがいないレースで敗北。次走のアルゼンチン共和国杯に期待が高まったが、ここでも6着と敗北。2歳王者はもろくも崩れ落ちたと思われた。そして人気が下がって迎えた有馬記念。
この世代は強かった。エルコンドルパサーにスペシャルウィーク。さらに2冠馬のセイウンスカイがいた。そしてここではセイウンスカイ、そしてさらに上の世代のメジロブライトなどとの対戦となった。しかしそんな相手もものともせず、2歳王者の真の力を発揮し、有馬記念を勝利し世代王者を証明、完全復活をアピールした。
翌年、大阪杯は怪我で回避し、京王杯スプリングCへ。1400mという距離に疑問もあったがなんとか勝利。そして次に選んだのは安田記念。圧倒的1番人気になったものの、途中の接触もあり惜しくも2着に敗れてしまった。
続けて宝塚記念に出走。ここで同世代のダービー、天皇賞春を勝利したスペシャルウィークとの対決。武豊とこのグラスワンダー的場均との一騎打ちのムードが高まった。人気はスペシャルウィークが1番人気に推された。しかしレースが終わってみれば結果は明らか。3馬身差の圧勝でスペシャルウィークを下した。エルコンドルパサーがいない日本競馬の頂点に立った。
そうして秋に進む。その初戦毎日王冠ではもちろん圧勝してくれるものと信じていたが、意外に苦しみながらの勝利。そうして左回り苦手説もありながらジャパンカップへ向かうはずだった。しかし再三の怪我に悩まされ回避。その間にスペシャルウィークは天皇賞秋、ジャパンCと勝利した。
そして歴史に残る名勝負、有馬記念でスペシャルウィークとの2度目の対決を向かえた。直線で早めに抜け出して先頭に立ったグラスワンダー。大外から強烈な脚で追い込んでくるスペシャルウィーク。首の上げ下げの勝負。そしてゴールイン。勝ったのはどっちか。そんな空気に包まれる中、ウイニングランを始めたのは武豊。写真判定中のウイニングランだった。静かにコースから出て行くグラスワンダー。しかしその後の長い写真判定の後で驚きの結果が場内を包んだ。電光掲示板の1番上に表示されたのはグラスワンダーの7番。4センチの執念でスペシャルウィークを下していたのだった。こうしてスペシャルウィークを2度とも倒し、日本一を証明して見せた。
しかし、この世代は、天皇賞やジャパンCを勝ったスペシャルウィークや、そのスペシャルウィークに2戦2勝と負けたことがなかったグラスワンダーがいたにもかかわらず、この馬達は世代最強とと認められなかった。同世代のエルコンドルパサーが海外で活躍して、直接戦うことが4歳ではできなかったのだ。そのエルコンドルが年度代表馬に選ばれる大活躍を見せ、日本で活躍した両馬は特別賞に甘んじた。
翌年エルコンドル、スペシャルウィークは引退し、世代を代表する馬はこの1頭となった。まだまだ活躍できるはずだったグラスだったが、調整の失敗が続き、エルコンドルがいない日本の頂点に立ち続けてきたのは過去の栄光となっていた。
しかしエルコンドルパサーが果たせられなかった夢、凱旋門賞を制すために、復活を望んだ宝塚記念に挑んだ。騎手はそのエルコンドルの主戦蛯名正義に替わった。蛯名、エルコンドル、そして日本の夢に向かって宝塚記念の勝利を目指した。しかし無念にもレース中に骨折。6着と敗れ引退してしまった。
怪我と戦い続けながら、最強世代の中で日本の頂点を守り続けてきた最高の名馬だったといえる。
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競馬MEMORY〜第2話〜

競馬MEMORY〜第2話 世界的王者の飛翔〜

デビューから王者の品格は違った。
スタートはよくなかったものの7馬身差の圧勝。2走目は条件戦で9馬身。次元が違った。この2走はダート戦。芝を走らせようという陣営の意向で共同通信杯へ。しかし雪のためダート開催に。重賞の格付けなしという珍事が起こった。ダートを経験させたかった陣営としては残念だったかもしれないが、もちろん勝利。それがエルコンドルパサー。
そして今度こそ芝のニュージーランドTへ。初の芝もなんのその。出遅れながら圧勝。そしてNHKマイルCへ。
この年は2歳チャンピオンにグラスワンダーがいた。この2頭の対決はここで実現すると楽しみにされていたのだが、グラスワンダーは朝日杯勝利後に怪我をして休養を余儀なくされた。それでも無敗馬がほかにも数頭いた中でのNHKマイルC。だがこんなところで負ける馬ではない。0.3秒差の完勝。
休み明けの毎日王冠。今までの鞍上、的場均はその2歳王者グラスワンダーに乗ったため蛯名正義に乗り替わる。ここで初の敗戦を喫する。相手はサイレンススズカだった。骨折明けのグラスワンダーには勝利したが、相手が万全の状態ではなかった。
次走ジャパンC。2400mの距離には不安もあったが、エアグルーヴ、同期のダービー馬スペシャルウィークを寄せ付けない圧倒的な力の差で勝利。0.4秒差と力の差は歴然だった。初の日本の3歳馬のジャパンC勝利となった。
この馬の強さは誰もが認めるものだった。日本馬最強ということはジャパンCで証明された。この馬の力を認めないものはいない。そして舞台は世界へ。ジャパンCで世界の一流どころ相手にも勝利を収め、自信をつけたエルコンドルパサーは、4歳時はすべて海外のレースに出走することとなる。
まずはフランスのG1イスパーン賞に出走。海外初戦とあって戸惑いも少しはあったのか、直線で交わされ2着に敗れる。しかしこれは陣営も納得の結果。それもそのはず。次走G1サンクルー大賞では世界の強豪相手に2馬身半の差をつけての完勝。一躍、世界最高峰のレース凱旋門賞の有力候補になった。
次走はG2フォワ賞。なんとレースは3頭で行われた。もちろんエルコンドルはほかの2頭から厳しいマークを受ける。しかし最後はきっちりとアタマ差だけ抜け出しての勝利。ついに次走は期待された凱旋門賞へ。
その凱旋門賞は最悪の不良馬場。そんな中、エルコンドルは逃げの戦法をとった。逃げても力強く王者の風格漂う走りだった。しかし最後の直線、後続を突き放したものの、前評判通り最強3歳馬モンジューが追い込んでくる。粘るエルコンドル。だがゴール前で半馬身交わされての2着に敗れた。
このレースでエルコンドルは勝ち馬と変わらぬ高い評価を受けた。なんといっても3着との着差は6馬身もあったのだ。そしてこのレースを最後に引退となった。海外G1を勝利し、通算11戦8勝、2着3回。日本国内ではあのスペシャルウィーク、グラスワンダーが活躍したにもかかわらず、日本で1走もしなかったこの馬が年度代表馬に選ばれた。
こうして惜しまれながら引退していった、日本最強馬といっても過言ではないこの馬は、もちろん種牡馬での活躍を期待された。だが、その希望もむなしく3世代の産駒だけを残し死亡。種牡馬としての長期の活躍はできなかった。それでも、この馬の血は仔に受け継がれ、たった3世代のなかで、芝、ダートあわせて3頭ものG1馬を輩出している。
この馬の記録した最大レーティング134は日本調教馬最高記録だ。日本でも世界でも活躍し、認められ、飛翔したこの名馬は忘れることはできない。
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競馬MEMORY〜第1話〜

競馬MEMORY〜第1話 静寂を切り裂くスピード〜

今は亡きサンデーサイレンスの後継者はどの種牡馬になるのか。もし今も元気でいるならば、この馬以外に思いつく馬はいない。
気性がもともと悪く、能力を完全に出し切れてはいなかった。しかし能力の高さはデビュー前から認められていた。
サイレンススズカ。デビュー2戦目の弥生賞では外枠発走からでさらに出遅れし8着。その後は連勝したがダービーでは無理に抑えて9着。ここで陣営はこの馬の能力に期待してスピードに任せることにした。その初戦神戸新聞杯。見事な逃げで鞍上の上村洋行は勝利を確信。しかし後の菊花賞馬マチカネフクキタルの強襲により2着に敗れる。騎手は交代して河内洋。超ハイペースで逃げた次の天皇賞では6着と善戦。しかしマイルCSでは鞍ズレで大敗。その後年末に香港へ遠征。
このレースで名ジョッキー武豊とコンビを組んだ。武はこの馬の能力を生かす大逃げで挑んだ。しかし結果は5着。見せ場は作るものの勝ちきれないレースが続いた。
だがこのレースで武豊がサイレンススズカに惚れたのだ。翌年、この馬のオープン特別のために武豊が東京遠征。そこから快進撃が始まった。バレンタインS、中山記念、小倉大賞典と3連勝。さらに金鯱賞では4コーナーですでに勝利を確信、圧倒的な強さに拍手が送られるほどの見事な逃げのパフォーマンスで小倉大賞典に続いてのレコード勝ち。能力を完全に開花させた。ちなみに2着との差は1.8秒だった。
そしてG1宝塚記念。武豊は当時の最強牝馬エアグルーヴに騎乗することになっており南井克巳が騎乗。初騎乗と距離を考えたこともあっていつもより抑えた逃げであったが、最後はなんとか粘りこみG1タイトルを手に入れた。
秋は武豊が鞍上に復帰し、毎日王冠を初戦に選んだ。これを他馬との能力の違いを見せ付けて勝利。ペースは34.6−35.1とスピードは最後まで落ちなかった。「逃げて差す」という表現がなされた。そして2つ目のG1タイトル天皇賞秋へ。逃げ馬は勝てない、1番人気は勝てないというジンクスがあった。しかしこの最強逃げ馬が負けるなど考えられなかった。ジンクスは打ち破られるはずだった。
圧倒的1番人気で迎えたレース。最初1000mは57.2秒での超ハイペース。後続との差は20馬身は軽く離れていた。このペースを最後まで保つ勢いで圧倒的なレコード勝利を収めると誰もが期待した。しかし3コーナーの東京名物大ケヤキを過ぎたあたりで異変に気づいた。サイレンススズカが失速。コースから離脱。
誰もが落胆した。目を疑った。故障による予後不良。ジンクスは生きていた。レースはサイレンススズカがオフサイドだったといわんばかりに大穴のオフサイドトラップが勝利した。ただそれでも予後不良というレベルの怪我でもサイレンスは倒れることなく立ち続けた。能力を開花させてくれた名ジョッキー武豊を落とさなかった。名馬と名騎手の絆だった。
20世紀世界最高の名馬といっても過言ではないこの馬は、競馬のスピードだけでなく競走馬生命の時間も早かった。
posted by ナイト at 22:38| Comment(0) | 競馬MEMORY | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする