2012年10月31日

競馬MEMORY〜第25話〜

競馬MEMORY〜第25話 異色の中央馬〜

JBCスプリントとJBCクラシックという、交流ジーワンが1日に2度行われる地方競馬の祭典。近年ではJBCレディスクラシックという牝馬限定重賞も同日開催され、さらに盛り上がりを増しているJBCは、中央、地方馬ともに毎年豪華なメンバーが揃う。
2001年からJBCは開催が始まり、すでに11回の歴史を重ねてきた。
わずか11回の歴史の中で、JBCクラシックではアドマイヤドンとヴァーミリアンによって、2度の3連覇が成し遂げられ、アジュディミツオーやフリオーソといった地方馬の優勝が阻止されてきた。さらに、タイムパラドックスとスマートファルコンの2頭も連覇を達成しており、11回の歴史がありながら、優勝馬は5頭だけという奇妙な現象が起きている。その立役者となったのが、タイムパラドックスとヴァーミリアンによる松田博資調教師の5連覇や、ヴァーミリアンとスマートファルコンによる武豊騎手の5連覇である。
このように、JBCクラシックは毎年、強い馬が強い勝ち方を見せるという結果になることが多く、中央の怪物が何度も勝ち続けている。
一方、JBCスプリントはというと、毎年実力が拮抗して接戦になることが多い。初の1000mでの開催となった第10回のJBCスプリントでは、サマーウインドが持ち前のスピードで他馬を圧倒し、0秒9の差をつける圧勝となったものの、これまでに大きな差をつけて勝利した馬はこのサマーウインドくらいだろう。また、中央と地方の実力も大きな差がなく、第7回のJBCスプリントでは、地方馬のフジノウェーブが優勝している。現在、地方馬のJBC勝利はこの1回だけである。
このように、1800mや2000mを中心に開催されるJBCクラシックと、1200mや1400mを中心に開催されるJBCスプリントの2つのレースには大きな特色がある。そして、現在のところ、この2つのレースを制覇した馬は出てきていない。
惜しい結果を残した馬もいる。最初に2レース制覇が期待されたのはブルーコンコルドだろう。
第5回JBCスプリント、1400mを勝利すると、翌年は南部杯を勝利し、JBCマイルという名で開催された第6回のJBCスプリントも制する。このころから徐々に距離を伸ばしても結果を残せるようになってきたブルーコンコルドは、この年の東京大賞典も制し、翌年のJBCクラシック制覇が期待された。しかし第7回のJBCクラシックでは、ドバイ帰りのヴァーミリアンに圧倒される結果となり、力及ばず4着に敗れてしまった。
もう1頭の2レース制覇が期待された馬は、異色の中央馬スマートファルコン。何が異色かというと、3歳の夏に小倉のKBC杯で勝利して以来、7歳のドバイワールドカップで引退するまでの間、地方交流重賞にしか出走しなかったからである。
KBC杯で勝利した後、2100mの白山大賞典を勝利し、次走は1400mのJBCスプリント。ここで3歳馬ながら2着と健闘し、今後の成長に期待された。
するとこの後は交流重賞を怒涛の6連勝。その後マーキュリーCで2着に敗れるものの、続くブリーダーズGCでレコード勝ちをする。次の浦和記念では乱ペースに巻き込まれ大敗するも、翌年に入ってからはJBCスプリントの覇者スーニに対して重賞を連勝する。5歳の春ですでに交流重賞10勝。圧倒的な強さを見せていた。
しかし、この成績は疑問が残るものであった。3歳のJBCスプリント以降も一貫して交流重賞に出走し続けたものの、交流ジーワンは全く使われなかったのである。どうして4歳の秋にJBCスプリントに出走しなかったのか。5歳になってスーニに楽勝していることからも、4歳の秋でJBCスプリントに出走していれば、きっと勝っていただろう。そして、史上初のJBCスプリント、JBCクラシック両レース制覇が達成できたのではないだろうか。
あくまで交流ジーワンや中央の重賞に出走しなかったスマートファルコンだが、この交流重賞10勝を達成した後、ようやくダート界の王道路線ともいえる、交流ジーワン帝王賞に出走する。しかしここで6着と大敗する。結局、強豪相手には力不足だったのか。そう思わせる内容であった。その後の日本テレビ盃でも同じ相手に敗れる。距離が長いのかもしれないとも思われたが、スマートファルコンの破竹の連勝劇はメンバーが弱かったおかげで、実力は一線級には及ばない。そう思われつつあった。そんな中で、次走は引き続き王道路線のJBCクラシックに出走した。ファンもこの馬への期待は薄れ、4番人気となり、交流重賞では決して高い評価とは言えなかった。
しかし、このJBCクラシックでついに才能が開花した。ここ2走はフリオーソらに先手を許し、好位追走の競馬をしていたスマートファルコンだったが、このJBCクラシックでは思い切って先手を奪い、逃げる競馬をした。すると4コーナーを回って直線に向いても、後続は全く追いつけず、むしろその差は開く一方。連敗中のフリオーソ相手に、1秒3をつける大楽勝。この馬の強さ、連勝は本物だった。
このJBCクラシックの勝利で一気にダート界の頂点に上り詰めた。しかし、その後も地方競馬にしか出走しなかったのが、この馬の面白いところだろう。JCダートには出走せず、浦和記念を制すると、東京大賞典で再びフリオーソを倒し交流ジーワン2勝目を挙げる。
こうなると、もはやこの馬の実力に疑いはなかった。それでも、翌年もフェブラリーSは当然のごとく回避し、ダイオライト記念に出走。そこで1秒6差をつけて勝利すると、帝王賞でジーワン5勝馬エスポワールシチーに1秒8の差をつける快勝で力の差を見せつけた。再び破竹の勢いを取り戻したスマートファルコンは、その後は日本テレビ盃、JBCクラシック、東京大賞典、川崎記念と、すべて逃げ切りで勝利し、交流重賞9連勝を達成する。
そして7歳の春、スマートファルコンは3年半ぶりに、地方交流重賞以外のレース、ドバイワールドカップに出走を果たす。前年にヴィクトワールピサが日本馬初の優勝を果たしており、連覇が期待されたこのレース。しかしスマートファルコンはスタートで躓くアクシデントで大敗。そして夏に故障を発症し引退となってしまった。
重賞19勝の驚異的な成績だが、すべて交流重賞というのがこの馬の面白いところだろう。さらに、うち交流ジーワンはたったの6勝。あくまで地方交流重賞にこだわり続け、中央での活躍が見られなかったこの馬だが、それでもクロフネ、カネヒキリと肩を並べるダート界最強馬の1頭であることは間違いない。
ただ、残念だったのは史上初のJBCスプリントとJBCクラシックの両レース制覇が見られなかったこと。3歳のJBCスプリント2着、4歳は出走せず。この馬ならこの快挙達成も可能だっただろうと思える成績を残しているだけに、本当に残念でならない。
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2012年10月23日

競馬MEMORY〜第24話〜

競馬MEMORY〜第24話 牝馬時代の到来〜

ここ数話にわたって、ディープインパクト世代の牝馬、ダート馬、障害馬と、揃いも揃った同世代の強豪達を取り上げてきた。そのディープインパクトが引退後、競馬界は一気に様変わりした。今までにない、牝馬中心の時代へと変わっていったのだった。その予兆とも言えたのがディープインパクトがダービーを制した後の宝塚記念で、牝馬のスイープトウショウが持ち味の瞬発力を発揮し、ディープインパクトを後に倒すことになるハーツクライなどを破ったことだった。
そしてその翌年、ディープインパクトの引退レース、有馬記念の少し前に、後に日本の頂点に立つ2頭の牝馬が現れたのだった。1頭はウオッカ。ここまで、新馬戦で勝利を挙げたものの続く黄菊賞で2着となり、そこまで評価の高い馬ではなかった。しかし、ディープインパクトが引退する3週間前、阪神JFを2歳レコードで制し、その実力を示したのだった。もう1頭はダイワスカーレット。その阪神JFの2週後、牡馬の有力馬を相手に中京2歳Sを制し、前評判通り素質の高さを示した。
ディープインパクトが引退した翌年から、競馬界は牝馬中心の時代に変わっていく。ウオッカとダイワスカーレット。この2頭の対決に世間の注目は注がれることになるのだった。
この2頭が最初に対戦したのはチューリップ賞。ウオッカはエルフィンSを勝利し、一方のダイワスカーレットはシンザン記念で2着に敗れてこのレースに挑んだ。レースはダイワスカーレットが逃げてペースを作り、直線に向くとウオッカがそれを捕らえようと仕掛ける展開。ダイワスカーレットの鞍上安藤勝己は追い出しを我慢し、ウオッカが並びかけるのを待ってから追い出しを始める。
3着以降に6馬身の差をつけた2頭の叩き合いは、クビ差だけウオッカが制した。ダイワスカーレットの鞍上安藤勝己が、ウオッカの力を測ったようなレースではあったが、結果としてウオッカがまず直接対決を制することになる。
続く牝馬クラシック1冠目となる桜花賞。ここでダイワスカーレット、安藤勝己が前回の敗戦を糧に、早めの追い出しで勝負をかけると、それをぴったりマークするように進んだウオッカと四位は外から追い上げる。しかし、直線で2度馬体がぶつかる激しい叩き合いで、最後はウオッカが失速。ダイワスカーレットを捕らえきれず、ダイワスカーレットが見事にジーワンの舞台で雪辱を果たした。
これで1勝1敗。次のオークスでの対決が期待された。しかし、ダイワスカーレットは体調を崩し回避。そしてウオッカは桜花賞前から予定されていたことだが、牝馬ながらダービーに出走を決め、2頭の対決は秋以降へと持ち越された。
ダービーに出走したウオッカはというと、上がり33秒0という驚愕の末脚を発揮し、大外から牡馬を一気に差し切っての勝利で64年ぶりの牝馬のダービー制覇という偉業を成し遂げたのだった。
その後ウオッカは宝塚記念で敗れてしまうものの、秋になり、秋華賞で3度目のダイワスカーレットとの対決となる。ダイワスカーレットは前哨戦のローズSを快勝し、順当にこの秋華賞へと駒を進めた。
秋華賞の戦前は、ダイワスカーレットは2000mは少し距離が長いと言われ、ウオッカ有利との評価だった。しかし、その不安も杞憂に終わる。桜花賞同様早めの仕掛けで先頭を捕らえると、そのまま後続を寄せ付けず快勝。牝馬2冠を達成し、ウオッカとの対戦成績も2勝1敗としたのだった。
この秋華賞でのウオッカは、最後方集団から大外を回ってから、上がり33秒2という強烈な末脚で最後は追い込んだものの3着に敗れている。
4度目の直接対決が期待されたエリザベス女王杯は、京都外回りで直線も長く、おまけに2200mと距離も伸びることから今度こそウオッカ有利との評判だった。しかし、当日の朝になりウオッカが回避。敵のいなくなったダイワスカーレットは古馬相手に楽々と逃げ切ってジーワン3勝目を挙げたのだった。
一方のウオッカはJCに出走し僅差の4着に敗れる。
その後有馬記念で4度目の直接対決を向かえるも、ダイワスカーレットの2着に対してウオッカは11着と大敗してしまう。
4歳になり、ウオッカは京都記念で6着と敗れ、徐々に評価を落としつつあった。鞍上が武豊に変わってもドバイデューティーフリー4着、ヴィクトリアマイル2着となかなか結果を残せず、苦しんでいた。
3歳の頃はダイワスカーレットよりも長距離向きと評価されていたウオッカだったが、この評価は少しずつ変わり始め、ウオッカはどちらかというとマイラー、また府中専用といった評価が広まっていった。ヴィクトリアマイルも2着に敗れはしたものの、上がり33秒2という自慢の末脚を発揮して惜しくも敗れた2着だった。
そして、この評価を定着させたのが次の安田記念だった。牡馬の強豪相手に3馬身半差の快勝。東京、しかもマイルはウオッカにとって最善の舞台。宝塚記念を回避したことからも、やはり東京でしか走らない。そういう評価が高まり、陣営もそれを悟ったのか、ヴィクトリアマイル以降は日本では東京競馬場にしか出走することはなかった。
一方4歳になってからのダイワスカーレットは、フェブラリーSを回避し、ドバイ遠征が白紙になってからは大阪杯を快勝し、ヴィクトリアマイルでの5度目の直接対決に向かおうとしていた。しかし、故障でこのレースを回避すると、天皇賞秋まで休養することになる。
ダイワスカーレットは3歳のころはマイラーという評価がされていた。2200mのエリザベス女王杯も、スローペースで逃げ切っただけと思われ、長距離は向いていないという評価が多かった。それでも、逃げながら上がり33秒台の脚を連発する実力は高く評価され、また2500mの有馬記念で2着、さらに2000mの大阪杯で前年の菊花賞馬アサクサキングスやジーワン4勝を挙げているメイショウサムソンを破って勝ったように、距離の不安がささやかれることもなくなっていった。
そして天皇賞秋で5度目の直接対決を向かえる。ここで2頭の真の実力が発揮されることとなる。
ウオッカは秋初戦の毎日王冠では、あまりのスローペースから思い切って逃げて2着に敗れるも、この天皇賞秋では1番人気に支持された。一方のダイワスカーレットは大阪杯以来の休み明け、さらに逃げるこの馬にとって初の東京コースは厳しいのではないかという評価で人気を下げ、2番人気となった。
レースはダイワスカーレットが好スタートから逃げると、道中は全くペースを落とすことなく、ラップタイムが11秒台を刻み続けるという、驚異的なハイペースで逃げていく。しかし、このハイペースに後続集団は置いて行かれることなく、その中団でウオッカも追走していく。
このダイワスカーレットの逃げは、直線に向いても失速しなかった。他の先行馬が失速していく中、この馬だけは先頭で逃げ続けるという、本当に強い馬しかできない競馬をこのダイワスカーレットと安藤勝己が披露した。しかし、故障明けのレースという影響もあったのか、最後の1ハロンで脚色が鈍ってしまう。ここに外からやってきたのは、やはり最大のライバル、ウオッカだった。
外から末脚を伸ばすウオッカ。残り100m。ダイワスカーレットを捕らえて交わした。外からウオッカが交わした。
そう見えたはずだった。しかし、ダイワスカーレットはまだ捕まっていなかった。そこから息を吹き返したのだ。桜花賞以来の2頭の直線での真っ向勝負。内外に離れての壮絶な叩き合い。両者一歩も譲らず、ほとんど並んだままゴール板を駆け抜けた。
他馬が付いて行けないハイペースでダイワスカーレットが逃げると、それに離されることなく喰らいついたウオッカ。2頭の勝負はレコードタイムの1分57秒2で決着した。しかし、勝者がわからない。
長い長い写真判定。何度も流されるゴール前のスローVTR。15分にも及ぶ写真判定の末、着順掲示板の一番上に点った数字は、14番。ウオッカだった。最後の差はたった2センチ。2センチの差でダイワスカーレットに勝利し、ジーワン4勝目となる天皇賞秋の勝利。ダイワスカーレットとの対戦成績を2勝3敗とし、この激闘に幕を閉じた。
その後ウオッカはあくまでも東京コースにこだわり、JCに出走するが折り合いを欠き3着に敗れる。
ダイワスカーレットは有馬記念に出走。3歳時には半信半疑の評価だったダイワスカーレットが天皇賞秋で能力の片鱗を見せ、そしてこの有馬記念でダイワスカーレットの驚愕の強さを見せつける。残り1000mあたりから、逃げるダイワスカーレットを目標に、牡馬の強豪が仕掛け始める。メイショウサムソン、スクリーンヒーロー、アサクサキングス、マツリダゴッホ。牡馬のジーワン馬達がこぞってダイワスカーレットを捕らえにかかるところで、ダイワスカーレットはスパートをかけた。迫ってくる牡馬を次々となぎ払い、競り落として行った。先行し、早めに仕掛けた牡馬は全滅。2着には最後方から直線勝負に徹したアドマイヤモナークが来る波乱の展開となった。しかし、そんなレースながら、ダイワスカーレットはアドマイヤモナークに1馬身4分の3の差をつけて楽々と逃げ切って見せたのだった。
強さというよりも、恐ろしさを感じさせられるレース。これで12戦12連対。内訳は8勝、うちジーワン4勝。古馬になりさらに力を増したこの馬なら、海外でも期待できる。ダイワスカーレットの評価は高まる一方で、3歳時にはウオッカよりも低かった評価を覆すようになっていた。
しかし、この有馬記念を最後に、屈腱炎でダイワスカーレットは引退してしまう。ウオッカとの対戦成績3勝2敗。ウオッカよりも強いのではないかという印象を与えながら、最後の直接対決天皇賞秋でウオッカに敗れたまま、引退してしまった。
一方のウオッカは、翌年、東京での強さを発揮し続けた。ドバイで連敗したものの、帰国後のヴィクトリアマイルを7馬身差の圧勝。安田記念は直線で前が詰まり続けながら、残り100mだけの競馬で勝利。これほどまでに強い馬がいただろうか。そう思わせる強い競馬で春のジーワンを連勝する。秋になってからは毎日王冠は2着、天皇賞秋は3着と惜敗するも、JCで2分22秒4という好タイムで勝利し、東京競馬場の古馬芝G1完全制覇を達成した。
ダイワスカーレットに負け越し、また東京以外のコースでは大敗を喫するなど、不安定な面も見られたウオッカだったが、ジーワン7勝、内牡馬混合ジーワンが5勝という数字は、名馬と評するにふさわしいものだった。これが評価を高めたのだろう。引退後、顕彰馬に選定されたのはダイワスカーレットではなくウオッカのほうだった。
2頭の名牝により作られた歴史はこうして幕を閉じた。ただ、牝馬の時代はまだ終わらず、この年の桜花賞、オークスを制したブエナビスタを中心に競馬界は回っていく。この年の有馬記念で、3歳ながら古馬相手に2着となると、翌年は京都記念を勝ち、ドバイシーマクラシックで2着、ヴィクトリアマイル1着、宝塚記念2着、天皇賞秋1着、JCの2着降着、有馬記念2着と、牡馬相手に連を外すことなくジーワン2勝を挙げる華々しい活躍を見せた。さらに次の年も宝塚記念2着、天皇賞秋4着、JC1着と、このブエナビスタによって、牝馬中心の時代は続いたのだった。
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2012年04月09日

競馬MEMORY〜第23話〜

競馬MEMORY〜第23話 日の当たらない舞台の主役達〜

ディープインパクト世代というのは、牝馬のシーザリオ、ダートのカネヒキリやヴァーミリアンと、いろいろな舞台で活躍してきた。それだけにとどまらず、ディープインパクト世代の怪物は、障害の舞台にも2頭いた。
ディープインパクトが菊花賞を制し3冠を達成した翌週、同じ京都競馬場の障害未勝利でテイエムドラゴンは障害デビューを果たした。
3歳にして早くも障害転向。そして快勝。見事なデビューを飾ると、続く京都HJでもいきなり重賞勝利を決める。
すると、ディープインパクトが敗れることになる有馬記念の前日、中山大障害でテイエムドラゴンは一足早く古馬相手のG1制覇を達成する。それも、2着に1秒5もの差をつけての圧勝。3戦連続で他を寄せ付けない快勝。しかもまだ3歳にしてこの活躍。障害の舞台に怪物が現れた。
それでも、翌年は鼻出血の影響もありなかなか思うような成績が残せず、中山GJではカラジの2着に敗れてしまう。しかし、このレース後、テイエムドラゴンは骨折が判明。故障さえなければ中山GJを制していたと思われるだけに、惜しまれる結果となった。
だが、このテイエムドラゴンの故障は思わぬ記録を生み出した。このレースを制したカラジはオーストラリアから来た馬で、当時11歳。カラジは10、11、12歳の3年間で中山GJを3連覇し、G1の3連覇、さらに最高齢でのG1制覇というJRA新記録を打ち立てたのだった。
このカラジの3連覇のレースの中で、最も2着との着差が小さかったのが、このテイエムドラゴンとの対決の時である。このことからも、改めてテイエムドラゴンの強さを知ることができるだろう。
このレースで故障したテイエムドラゴンは長期休養を余儀なくされた。そのため、この年の中山大障害は物足りないレースになると思われた。しかし、この年の中山大障害を制したのは、またしてもディープインパクト世代の1頭、マルカラスカル。2着に1秒の差をつけて圧勝。また障害界に新星が現れた。
翌年になると、このマルカラスカルは故障もあり、思うような結果が残せなかった。一方、テイエムドラゴンは暮れの中山大障害を目指して、秋の京都HJで約1年半ぶりに復帰した。復帰戦は馬体重プラス46キロと、明らかに調整途中の状態での出走だった。それにもかかわらず、後に障害重賞8勝の最多記録を樹立するコウエイトライを倒し、復帰戦を重賞勝利で飾った。
怪物テイエムドラゴンが帰ってきた。この年の中山大障害はこの馬で間違いない。しかしそう思ったのもつかの間。中山大障害では屈腱炎を発症し、4着に敗れそのまま引退してしまった。
障害は8戦して5勝ながらも、その敗戦は全て故障によるものばかりで、最強障害馬との呼び声が高いテイエムドラゴン。この馬が引退し、混戦となったと思われた障害界。しかし、ここでもう1頭の怪物、マルカラスカルがついに才能を開花した。
翌年は良くも悪くもマルカラスカルが強さを見せつけた1年となった。
中山GJは2着に2秒2の差をつけて圧勝。2つ目のG1タイトルを手にする。さらに暮れの中山大障害の前哨戦、イルミネーションJSでは2着に4秒6もの差をつける大楽勝。この馬にもう敵はいないと思わせる内容だった。
しかし、マルカラスカルを語る上で欠かせないのはこの年の中山大障害。結果から言えば、このレースでマルカラスカルは5着に敗れる。しかし、レースの内容はと言うと、後続を10馬身以上も突き放す大逃げでレースを進めながらも、途中で外ラチに向かって逸走。一度は馬群の後方にまで飲み込まれるも、そこから再び先頭を奪い返すという競馬で、最後に直線で失速して5着に敗れたのだった。
負けてなお強し。ディープインパクト世代の2頭目の障害の怪物と言えるだけの驚異的な力を発揮したレースとなった。
ちなみに、このレースを制したキングジョイもディープインパクト世代の1頭。そして、翌年の中山大障害も制し、連覇を達成する。また、このレース4着のスプリングゲントは、障害無敗ながらも故障による長期休養により、2年ぶりの障害レースだった。ここで初の障害での敗戦を経験するも、翌年の中山GJでキングジョイとの1000mにも渡る長い一騎打ちを制して悲願のG1タイトルを手にするほどの強豪である。
大きなロスがありながらもこれほどの強豪相手に5着に来たマルカラスカルの強さは、やはり疑いようのないものだった。しかし、このレースの後に故障を発症。2年後に復帰するも衰えは明らかで、そのまま引退してしまった。
テイエムドラゴンとマルカラスカル。障害を代表すると言えるこの2頭の怪物はともにディープインパクト世代だった。これほどまでに強豪が揃った世代というのはめったに無いだろう。
しかし、この障害という舞台は全く目立たない舞台で、G1であっても土曜日に行われ、重賞ともなると土曜日の平地の特別レースの前に行われるほど日の当たらない舞台である。この障害の舞台でも、数多くの名馬が生まれ、名勝負、ドラマが生まれている。障害は決して平地で通用しない馬が行く舞台ではなく、全く別の舞台。この障害の舞台で輝きを放つ名馬に、もう少しスポットライトを当ててみてもいいのではないだろうか。
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2011年03月22日

競馬MEMORY〜第22話〜

競馬MEMORY〜第22話 世界で活躍したダート馬達〜

クロフネ、カネヒキリ、ヴァーミリアン。日本のダートで大活躍したこれらの馬でさえも成し遂げられなかったことがある。それは海外での勝利。
今や日本馬は、海外G1を何度も制しているように、芝では世界のトップレベルと戦えるだけの力を持っている。しかしダートはというと、JRAのG1競走が2つしかなく、芝を重んじたレース体系になっており、世界で活躍するレベルの馬がなかなか出てこないのが現状である。
日本で敵なしだったカネヒキリでさえ、世界最高峰のダートレース、ドバイワールドカップで大きく離れた4着に敗れ、世界の壁の高さを改めて知ることになった。
そんな厳しい日本のダート環境だが、それでも世界のダートで活躍してきた日本馬がいる。
ダートレースの世界最高峰といえばドバイワールドカップ。このレースの日本馬最高着順は2着である。その素晴らしい成績を収めたのはトゥザヴィクトリー。しかしこの馬の場合は少し異例の活躍だった。この馬は、クラシック戦線から始まり、日本では主に芝で活躍してきたからだ。かといって、芝でも重賞を3勝していただけで、ジーワン勝ちはなし。ダートはドバイ挑戦前にフェブラリーSで初めて走って3着に来ただけ。そんな馬がドバイワールドカップで2着に来たのだから、これはコースの相性や適性、そしてメンバー構成、展開というものがよほどトゥザヴィクトリーに合っていたとしか考えられない。単騎の逃げから最後までしぶとく粘り切っての2着だった。
結果だけで言えば海外ダートで最も活躍した日本馬はこの馬になるだろう。だが、勝利を収めたという意味では、海外重賞を勝利した馬はいる。それがユートピアである。ドバイのG2ゴドルフィンマイルで4馬身差の見事な逃げ切り勝ち。日本馬初の海外ダート重賞制覇となった。
だがこのユートピアも日本ではカネヒキリなどに及ばなかった。ジーワンを4勝していた馬ではあったが、ドバイ遠征前にはフェブラリーSでカネヒキリに完敗していた。海外ダートで活躍するためには適性というのがどれだけ大事かということを改めて実感させられた。
さらにもう1頭、ダートの本場アメリカで海外重賞を制した馬もいる。それは、異例の海外制覇だった。新馬戦を2秒3差の圧勝。その次走、いきなりアメリカに遠征し、G2のピーターパンSを制したのだった。それがカジノドライヴ。デビュー2戦目での勝利、しかも5馬身4分の3差の圧勝。レース前は半信半疑なところもあったが、この勝利でその素質の高さを誰もが確信し、アメリカ3歳3冠のうちの1つ、G1ベルモントS制覇に期待が高まった。しかしこのベルモントSをレース前日の挫石で出走を取り消し、日本馬の大偉業達成は夢と消えた。その後は、4歳になってから日本のフェブラリーSで2着などと好走もしたが、ドバイワールドカップでは8着。さらにその後の故障で長期休養。2年後に復帰したものの、復帰戦で大敗と結果を残せずにいる。
このカジノドライヴのように、せっかくの素質を秘めた馬が、故障で活躍できなかったケースは多い。その代表的なもう1頭はフラムドパシオン。
ダート転向後、500万、オープンと全く敵を寄せ付けず連勝。この能力の高さから、ドバイのUAEダービーに挑戦することになった。
このUAEダービー、結果だけを言うなら、3着に敗れた。ただ、3着といえども、この時期の3歳の最高峰のレースでの3着。さらに、この後にブリーダーズカップクラシック、ドバイワールドカップなどを含むG1を6連勝するインヴァソールを破っての3着というのは、この馬の強さを伝えるには十分な結果だっただろう。
だが、このフラムドパシオンも故障に悩まされた。復帰後は1000万、1600万のレースを2勝したものの、再び故障により引退を余儀なくされた。
世界のダート競走は今、オールウェザー競走へと変わりつつある。世界最高峰のダートレースだったドバイワールドカップもオールウェザーコースとなり、日本の芝馬でも活躍が期待されている。すでに秋華賞を制したレッドディザイアがドバイワールドカップ前哨戦のG2を制し、日本の芝馬にオールウェザーコースの適性があることは証明済みである。しかし、だからといってダートレースが軽んじられていいわけではない。芝ばかりが注目を浴びる日本競馬だが、ダートにもスポットライトを当て、それによって世界で活躍するようなダート馬が生まれることを楽しみに待っている。
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2011年01月27日

競馬MEMORY〜第21話〜

競馬MEMORY〜第21話 守り続けた強さ〜

クロフネの引退後、ダート界で他馬を圧倒する強さを持っていたのはカネヒキリくらいだろう。なので、そのカネヒキリが故障で戦列を離れていた2年間は、ダート界にとってあまり意味のないものだったかもしれない。
しかし、競走馬はいくら強くても結果を残せなければ意味がない。クロフネも、カネヒキリも、屈腱炎に悩まされ長くは活躍できなかった。しかしそんな2頭とは違って、ヴァーミリアンは大きな故障に苦しむことなく、カネヒキリ不在の間、ダート界のトップを守り続けた。
カネヒキリが2006年に故障で戦線を離脱すると、その跡を継いだかのような圧倒的な強さを見せる。
2007年は、川崎記念、JBCクラシック、ジャパンCダート、東京大賞典と国内ダートジーワン4連勝。2008年もフェブラリーS、JBCクラシックと、国内ダートジーワン連勝記録を6に伸ばした。
カネヒキリ復帰後は3連敗を喫するも、2009年に再びカネヒキリが故障で戦線離脱すると、またしてもカネヒキリの強さを受け継いだかのように、同年に帝王賞、JBCクラシックと連勝。さらに次の年の川崎記念も勝利し、日本新記録となるジーワン9勝を達成したのだった。
カネヒキリと同世代のこのヴァーミリアンは、5度の対戦で一度もカネヒキリを倒すことはできなかったが、故障に悩まされた王者が不在の間、頂点を守り続けた。長年にわたって活躍し続けることが難しい競馬界において、4年にわたってジーワンを勝利し続け、頂点を守り続けることができたのは、他の馬にはないこの馬の強さだったのだろう。おまけに、2歳のラジオNIKKEI杯2歳Sから始まり、7年連続で重賞を勝ち続けるという日本新記録も達成している。
しかし、カネヒキリが故障で長期離脱した2006年。この年はまだヴァーミリアンはジーワンを勝利できなかった。休み明け初戦で力を発揮しきれずに敗れたヴァーミリアンを倒してジャパンCダートを制したのは別の馬である。
それがアロンダイト。成長著しい3歳馬が頂点を取ったのだった。しかし、このアロンダイトも故障に悩まされている馬で、何度も長期休養を余儀なくされている。
カネヒキリが不在の間にジャパンCダートを制したアロンダイトとヴァーミリアン。この2頭には共通点がある。それはエルコンドルパサー産駒であるということ。
このエルコンドルパサーは、凱旋門賞2着の華々しい実績もあるが、新馬戦でダートを圧勝し、芝、ダートともに種牡馬としての活躍が期待されていた馬であった。しかし、種牡馬生活3年目で急死。自身の強さを仔に伝えきることなくこの世を旅立ってしまった。
それでも、このたった3年間で、ジーワン馬を3頭輩出している。アロンダイト、ヴァーミリアン、そしてアロンダイトがジャパンCダートを勝った年と同じ年に菊花賞を制したソングオブウインド。この3頭である。
ただ、アロンダイト、ソングオブウインドとも故障に悩まされ、結局それ以後、勝利を収められていない。唯一長く活躍したのはヴァーミリアンだけである。
ヴァーミリアンは、カネヒキリ不在の間ダート界のトップを守り続け、さらにエルコンドルパサーの死後、父の評価の高さを守り続けた。
レースでの強さではカネヒキリに劣ったが、2歳のころから長く守り続けた強さがヴァーミリアンにはあった。
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2010年11月30日

競馬MEMORY〜第20話〜

競馬MEMORY〜第20話 規則を変えた不死鳥〜

ディープインパクトといえば誰でも知る英雄。そして同世代の牝馬シーザリオも世界トップレベルの名牝。だがこの世代には、もう1頭歴史に残る強さを誇った馬がいた。
デビュー戦は4着。次の未勝利は11着。この時点で、この馬が歴史に残る名馬になるとは思われなかっただろう。
しかし転機が訪れる。続く未勝利は初のダート戦。ここでついに才能を開花させる。9番人気の評価を覆し、2着に1秒2の差をつけての圧勝。さらに続くダートの500万でも2着に1秒8の差をつける大勝で一気にこの世代のダート最強馬の呼び声が高くなった。
この後、再び芝に挑戦した毎日杯で敗れてからは完全にダートに専念。端午Sで1分50秒8という、3歳春では異例の好タイムで、2着に1秒4の着差で勝利。やはりダートでは圧倒的な強さだった。
このころから、ディープインパクトと同じ、鞍上武豊、馬主金子真人というコンビになり、砂のディープインパクトとも呼ばれるほどに圧倒的な強さを見せるようになった。それがこのカネヒキリである。
この強さをそのままに、ユニコーンSで重賞初制覇を達成すると、ジャパンダートダービー、ダービーグランプリと地方交流G1をあっさり2連勝する。同世代に敵なしの状態だった。
しかし、続く武蔵野Sで思わぬ結果を招いてしまう。スタートで出遅れると、後方からの猛追も及ばず、同世代のサンライズバッカスの2着に敗れてしまう。しかし、古馬相手でも通用することを十分に示し、次は大舞台のJCダートに向かった。出遅れた前走を除くと、今まで敵を寄せ付けない勝ち方をしてきたカネヒキリであったが、初めて対戦する古馬の一線級相手に、直線では3頭の大接戦となる。前で粘るのはG1馬スターキングマンと、G1で2着3回のシーキングザダイヤ。これに外から猛追するカネヒキリ。直線での大激戦は、最後にわずかにハナ差だけ前に出たカネヒキリの勝利。レコードタイムで勝利し、国内最強ダート馬の称号を手に入れた。
すると、翌年のフェブラリーSでは休み明けの不安を一掃してしまう3馬身差の楽勝。続く世界最高峰の舞台ドバイワールドカップでも4着と健闘した。その後日本に戻ってくるが、当然負ける相手などいないと思われた。
それでも、日本国内にもまだ、真の力を出し切れずにカネヒキリに敗れ、不本意な結果に終わってしまっていた馬がいた。それが地方最強馬アジュディミツオーである。砂の深い地方と比べて、スピードの出る中央のダートでは全く好走できず、武蔵野S、JCダート、フェブラリーSと全て惨敗だった。それでも、地方に戻ると無類の強さを発揮した。JCダート以降に行われていた地方交流G1では、東京大賞典、川崎記念、かしわ記念と、中央の強豪相手に圧巻の3連勝を収めていた。
地方競馬場でのアジュディミツオーとカネヒキリではどちらが強いのか。この日本最高峰の2頭の戦いが、大井競馬場での交流G1帝王賞で実現した。1番人気はカネヒキリで1.6倍。2番人気はアジュディミツオーで2.2倍。完全にこの2頭の一騎打ちだった。
レースは、いつも通りアジュディミツオーが逃げて、カネヒキリは完全に相手をアジュディミツオーに絞ってマークするように、いつもより先行して2番手から進んだ。
しかし、地方競馬場でのアジュディミツオーの力は、完全マークで挑んだカネヒキリをも凌駕した。直線に向くと、2段ロケットと表現されたアジュディミツオーがカネヒキリを突き放していく。カネヒキリが必死で追い上げるものの、最後までアジュディミツオーとの差は埋めることができず、1馬身差でアジュディミツオーがカネヒキリを倒したのだった。
国内最強と思われていたカネヒキリだったが、地方競馬場では、地方最強のアジュディミツオーを倒すことができなかった。しかし、この壮絶な叩き合いは、良馬場ながらレコード決着となるほどで、2頭の能力の高さを改めて知らされたレースだった。
残念ながら、この後2頭は故障に悩まされることとなる。ハイレベルなレースで力を限界まで使い果たしてしまった後に怪我をするというのはよくあることだが、中央と地方のダート最強馬2頭を同時に失ってしまったダート界は、物足りないものとなってしまう。アジュディミツオーに至っては、この後3年間休み休みでレースには出走するものの、1勝もできないまま引退となってしまう。カネヒキリに至っては、2度も屈腱炎を発症し、2年4か月もの間レースに出走できない状態が続いてしまった。
そのカネヒキリも、6歳になっての復帰戦武蔵野Sでは国内ダートレースで初めて連を外すどころか、全く見どころのないまま9着に終わってしまった。
この惨敗のせいで続くJCダートでは4番人気と評価を落としたカネヒキリ。しかし前走武蔵野Sは馬群の中で身動きが取れなかっただけで、真の力を出し切れていない中での敗戦でもあり、このJCダートで復活を期待する声もあった。枠順は3年前に勝った時と同じ5枠10番。3年前同様の勝利を期待された。しかし鞍上は、カネヒキリ不在の間にダート王者に君臨していたヴァーミリアンに武豊が騎乗し、ルメールへと乗り替わっていた。不安と期待が入り混じるレースだった。
3年前のJCダートでは、前で粘る2頭を外から差してくる競馬で勝利したが、この年は反対だった。好位からレースを進め、直線に向くと3年前とは逆に、カネヒキリが逃げるG1馬サクセスブロッケンを捕らえて早めに先頭に躍り出る。しかし、外からヴァーミリアン、さらにはメイショウトウコンなどの実力ある差し馬に追い上げられてしまう。しかし、カネヒキリの力は健在だった。後続の追い上げを凌ぎ、見事に復活勝利を果たしたのだった。約2年10か月ぶりの勝利は、2度の屈腱炎を乗り越えての大復活の勝利だった。それと同時に、真のダート王者の存在を改めて示した結果となった。
しかし、2年前のカネヒキリ敗北の記憶は拭われていなかった。地方競馬ならまたしても負けるのではないのか。ヴァーミリアンのほうが強いのではないのか。そういう声もあった。年末の交流G1東京大賞典。ここでカネヒキリとヴァーミリアンは再び対決する。1番人気はヴァーミリアン。カネヒキリは2番人気に甘んじた。
しかし終わってみれば、カネヒキリは直線でのヴァーミリアンとの一騎打ちの叩き合いを制し、有無を言わせぬ日本最強ダート馬の座に返り咲いたのだった。
さらに続く川崎記念ではアジュディミツオーに代わって地方最強の座に就いていたフリオーソを倒し、ディープインパクトに並ぶジーワン7勝の当時の日本タイ記録に並んだのだった。
しかし、この時カネヒキリはすでに7歳。やはり全盛期の力は失われつつあった。
続くフェブラリーSでは、JCダートで倒したサクセスブロッケンや、海外で活躍していたカジノドライヴに大接戦の末敗れて3着。続くかしわ記念では、完全に力を失っていたアジュディミツオーとの再戦で先着を果たしたものの、エスポワールシチーの2着に敗れてしまう。
若い4歳馬が台頭してきた中、カネヒキリは再び苦難の道を進むことになる。骨折による1年の休養を余儀なくされる。
これでカネヒキリは終わった。そう思った人も多かった。しかし、カネヒキリは再び戻ってきた。それも、通常では考えられない方法で。
カネヒキリの復帰戦は、斤量こそ重くなるがプロキオンSか、それとも芝だが重い斤量を背負わなくて済む宝塚記念か。そう考えられていた時に、まさかの朗報が飛び込んできた。通常なら1年間レースに出ていない馬は出走できないはずの地方交流競走だが、カネヒキリという偉大な馬のために特例が認められて、帝王賞に出走できることになったのだった。規則を変えるほどの馬。かつてそんな馬がいただろうか。この期待に応え、1年ぶりのレースながら2着に健闘する。それも中央馬最先着であった。
それでも、やはり衰えは隠せず、マーキュリーCを勝利するものの続く不良馬場のブリーダーズGCでは、重馬場での瞬発力勝負でシルクメビウスに大きく差をつけられた2着と敗れてしまった。
そして、3度目の悲報が入ってくる。またしても屈腱炎となったのだ。これによってついにカネヒキリは引退することとなった。
2度の大きな怪我を乗り越え、劇的な復活勝利を果たし、地方競馬の規則までも変えて戦ったカネヒキリ。芝のレースに比べて目立たないダート界での活躍だったが、間違いなく歴史に名を残す名馬だったと言えよう。同世代の英雄になぞらえて、砂のディープインパクトと呼ばれたこの馬だが、苦難の道を何度も乗り越えて競馬場に戻ってくる不死鳥のごとき姿は、ディープインパクトよりも感動を呼ぶ名馬なのではないだろうか。芝のカネヒキリ。ディープインパクトのことをそう呼ぶ声があってもいいのではないだろうか。
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2010年05月18日

競馬MEMORY〜第19話〜

競馬MEMORY〜第19話 世界を制した牝馬〜

ディープインパクトを唯一倒した日本馬はハーツクライ。そのハーツクライをも上回る存在だったのがキングカメハメハ。前回はこの2頭の話だった。ではディープインパクトと同世代に、ディープインパクトを倒せるような馬はいなかったのだろうか。
ディープインパクトはクラシック3冠を全て圧勝し、同世代の牡馬相手に敵無しの状態だった。ただ、ディープインパクトは凱旋門賞で失格となってしまったが、このディープインパクト世代で海外G1を制覇した馬がいる。
1頭はシャドウゲイト。レベルが低かったレースではあったが、シンガポール航空国際Cを制した。
もう1頭は、シーザリオ。牝馬。活躍期間が短く、国内でのG1は1勝のみ。歴代最強牝馬と言えば、エアグルーヴ、ダイワスカーレット、ウオッカなどの名前を挙げる人が多いだろうが、この馬も決して引けを取らない馬だ。
シーザリオは、デビューの新馬戦、続く寒竹賞と平凡な内容で勝利。特に評価の高い馬ではなかった。
しかし、徐々にこの馬の評価は高まっていく。寒竹賞で2着だったのはアドマイヤフジ。アドマイヤフジは次のきさらぎ賞で3着に入る。
すると、シーザリオは続くフラワーCで断然の1番人気に推されて、その人気に応えて楽勝する。すると、同じ日に阪神競馬場ではアドマイヤフジが若葉Sを制する。さらに次の日には、寒竹賞で4着だったダンスインザモアがスプリングSを制したのだった。
牡馬の重賞クラスの馬と好勝負をする力を持つ牝馬。その力はどこまで通用するのか。続くレースは桜花賞だった。
しかし、桜花賞では主戦騎手の福永が、ラインクラフトに騎乗することになった。マイルはシーザリオにとっては少し短く、すでに重賞2勝のラインクラフトに分があると思われていた。
結局レースでは、ラインクラフトが先行して粘り切って勝利。差し届かずシーザリオは2着だった。しかし、シーザリオはスタート後、行き場をなくして位置取りが悪くなりながら、最後に外から追い込んで来てアタマ差の2着だった。負けてなお強しと言える内容のレースで、オークスの大本命に名乗りを上げた。
また、桜花賞を制したラインクラフトは次走、オークスでは距離が長いためNHKマイルCに参戦し、ここで牡馬相手に圧勝する。この世代の牝馬の評価は高まるばかりだった。
オークスはラインクラフトが出走しないため、シーザリオは主戦の福永が鞍上に戻り、圧倒的1番人気での出走となった。しかし、桜花賞4着、後に秋華賞を制するエアメサイアの鞍上武豊の巧みな騎乗によって、シーザリオは道中後方で動けないままであった。スローペースで完全に先行馬が残ってしまう流れの中、シーザリオは後方で抜け出せずにいた。
しかし、直線で外に持ち出すと、他馬を圧倒する末脚で、大外から伸びてくる。そしてゴール前、ぎりぎりのところで、先に抜け出していたエアメサイアを差し切った。上がりタイムは33秒3。着差はクビだったが、圧倒的な強さを見せつけたオークスとなった。
牡馬がディープインパクトなら牝馬はシーザリオ。圧倒的な強さを誇る牡馬と牝馬が同時に存在した3歳世代。日本での活躍だけでなく、海外での活躍が期待される2頭となった。
そんな中、先に海外に挑戦したのはシーザリオだった。オークスを制した後、アメリカンオークスに挑戦。日米オークス制覇に挑んだ。
圧倒的な末脚を見せつけた日本のオークスだったが、アメリカンオークスでは好位からレースを進めると、3コーナーで早くも先頭に並びかけた。早仕掛けではないかという不安をよそに、シーザリオはそのまま後続との差をどんどん広げていく。結局、ゴールした時には後続に4馬身もの差をつけていた。「Japanese superstar Cesario!」という現地のアナウンサーが叫んだように、その強さは桁違いだった。しかもタイムはレースレコード。日米オークス制覇を達成したのだった。
牡馬ならディープインパクト。牝馬ならシーザリオ。日本の、世界に通用する2頭の3歳馬が存在していた世代だった。
しかし、この2強体制は長くは続かなかった。アメリカンオークスを制した後、シーザリオは故障を発生。一度は回復し、復帰に向けて調整されていたが、故障再発で、そのまま引退となってしまった。
ディープインパクトが注目を浴び続けたこの年だったが、日米オークス制覇は、牡馬3冠以上の偉業と言えるのではないだろうか。その偉業から、アメリカではシーザリオの引退後に、シーザリオステークスが行われたほどである。
もしこの馬が無事に走り続けていたら、どれほど活躍できたのだろうか。ディープインパクトを倒す可能性があった唯一の同世代の馬。それが牝馬のシーザリオだったのではないだろうか。
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2009年12月21日

競馬MEMORY〜第18話〜

競馬MEMORY〜第18話 最強の大王〜

英雄、ディープインパクトが日本で敗れた馬はただ1頭、ハーツクライのみだった。
菊花賞後に臨んだ有馬記念で、今までディープインパクト同様に鋭い追い込みが武器だったハーツクライが、ルメールの手によって鮮やかな先行抜け出しで勝利し、ディープインパクトの連勝をストップさせた。
このあと、ハーツクライはドバイシーマクラシックを圧勝し、ディープインパクトを倒した力を海外でも見せつけた。さらには、夏にキングジョージに参戦し3着。ディープインパクトの凱旋門賞参戦と共に、大きな話題を呼んだ。
ただし、この2頭が共に真の力を出し切って勝負したことはなかった。
直接対決は、有馬記念と、翌年のJCの2回。
ディープインパクトが敗れた有馬記念では、鞍上武豊も4コーナーあたりでディープがいつもと様子が違うことに気が付いたとコメントしている。つまり、万全ではなかったのだ。
そして、翌年のJCではディープインパクトが外国の強豪などを押さえて、凱旋門賞失格のうっ憤を晴らしたのだが、その時のハーツクライは、ノド鳴りのため全く力が出せず、大敗。そのまま引退となってしまった。
共に万全の状態で走っていたならば、ハーツクライはディープインパクトを倒せたのかどうか。未だに気になっていることではある。
しかし、それ以上に、ディープインパクトを倒す可能性を秘めた馬が、ハーツクライの同世代にはいた。それがキングカメハメハ。
新馬戦から2連勝するものの、タイムは遅く、いまいち強さを感じさせる勝ち方ではなかった。すると、続いての京成杯で3着に敗れる。しかしこの敗戦がキングカメハメハを目覚めさせた。続くすみれSでは2着に0秒4差の完勝。再び挑んだ重賞、毎日杯でも2着に0秒4の差をつけて、初の重賞を制覇する。
ようやく才能が開花した。この勢いに乗って、初のG1、NHKマイルCに挑戦することになった。ここで、この馬の真の強さを目の当たりにする。2歳王者のコスモサンビームに0秒8、5馬身もの差をつけて勝利したのだった。この世代に敵無しと印象付ける内容だった。
そして、この圧勝の評価を受け、ついに大一番のダービーに1番人気で挑んだ。
レースは、前半1000mを57秒6という、逃げ馬の暴走で進む。そんなレースで、なんと、2番手にいたコスモバルクなどに続いて、キングカメハメハは、その後ろから暴走する逃げ馬を、4コーナーで捕まえにいってしまった。当然のオーバーペース。早すぎる仕掛けとしか思えなかった。
そして、この超ハイペースの中、東京の直線に差しかかったところで、キングカメハメハはすでに先頭に並んでいた。そして、コスモバルクを捕らえ、内で粘る皐月賞馬ダイワメジャーも退けて先頭に立つと、キングカメハメハの後ろからついてきていたハイアーゲームを突き放していく。当然これほどのハイペースなら後方からの追い込み馬がやってくる。それがハーツクライだった。直線で後方から一気にハーツクライが迫ってくる。しかし、キングカメハメハは、それをものともせず、最後まで粘り切った。2着に突っ込んできたハーツクライに1馬身半の差をつけて見事にダービーを制覇した。
超ハイペースの中、直線残り400mから先頭を譲ることなく勝利した。着差以上の圧勝。信じられない強さだった。タイムは2分23秒3。翌年にディープインパクトが記録するタイムと並ぶ、驚異的なダービーレコードであった。
しかし、超ハイペースでの決着となったこのダービーは、馬にとっての負担が大きかった。4、11、12、13、14、15着馬は、このダービーの後、約1年以上レースに出られなかった。さらに16着馬はダービーで引退。1頭はダービーのレース中に競走中止になっている。誰もが夢見るダービーの舞台が、これほどまで過酷な舞台になってしまった。しかし、その過酷な舞台で勝ちぬいたキングカメハメハなのだから、この後の強さを確信した。しかし、この馬にも過酷な未来が待ち受けていた。
無事に夏を超えたキングカメハメハは、神戸新聞杯で復帰し、ハーツクライなど相手に問題なく勝利する。しかし、天皇賞秋に向かって調整しているところ、屈腱炎を発症。早すぎる引退へと追いやられてしまった。
競馬史に残る激闘のダービーを、圧倒的な強さで勝利。この馬が世代最強だったことに疑いはない。その力を受け継いだかのように、このダービーを走った馬の中から、ハーツクライ、ダイワメジャー、スズカマンボ、コスモバルクと、4頭もの馬が後にG1を制し、さらにハイアーゲーム、コスモサンビーム、ホオキパウェーブ、グレイトジャーニーと、4頭の馬が重賞を勝つことになる。
世代の実力馬が揃いに揃ったレースで、その中でも圧巻のパフォーマンスを見せつけて勝利したキングカメハメハ。翌年のダービーの覇者ディープインパクトとの対決が実現していたらと今でも思ってしまう。
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2009年09月28日

競馬MEMORY〜第17話〜

競馬MEMORY〜第17話 英雄の血〜

ブロードアピール、デュランダル。印象に残る追い込みで実績を残した短距離馬がこの2頭なら、長距離では間違いなくあの英雄、ディープインパクトだろう。
新馬戦、若駒Sと、信じられない位置から33秒台の末脚で差し切り、続く弥生賞では鞭を使うことなく勝利。その後は、牡馬クラシック3冠を制覇。有馬記念でハーツクライの2着に敗れるが、翌年は阪神大賞典、天皇賞春、宝塚記念と勝利し、凱旋門賞は違反薬物が検出され3位入線から失格となるも、JC、有馬記念と勝利。圧倒的な強さで、競馬ファンだけでなく、競馬を知らなかったような人たちにまで、その名を知らしめた。
引退後は種牡馬としての活躍が期待されている。日本で大成功を収めたサンデーサイレンスの死亡後、後継者となるのはどの種牡馬かということが話題に上がることがある。その筆頭だったはずのアグネスタキオンが死亡し、このディープインパクトへの期待も高まっているだろう。では、そのディープインパクトの母の血というのはどのようなものだったのか。
同じ父サンデーサイレンス、母ウインドインハーヘア産駒の、兄ブラックタイドは気性の荒さや故障もあって、重賞はスプリングS1勝のみに終わる。さらに、同じ血統の弟オンファイアは故障のため3戦1勝と、ほとんど実戦で走ることなく引退してしまった。
これを考えると、種牡馬ディープインパクトにも不安はある。母のウインドインハーヘア産駒は、どうも故障が多いように見える。ディープインパクトこそ大きな故障はなかったように見えるが、もともと蹄が弱く、これだけの名馬なので特殊な蹄鉄の付け方をしてレースに臨んでいたため、無事に競走馬生活を終えることができたが、産駒にその悪い特徴が遺伝されなければと願っている。
ところで、これだけでは母ウインドインハーヘアの偉大さは伝わらないかもしれない。しかし、ディープインパクトの4歳年上の姉の実力は、その実績以上のものを持っていたであろう。父シーキングザゴールド産駒の大物、レディブロンドである。
この馬もやはり故障がちだった。辛抱に辛抱を重ねて、この馬のデビュー戦は、5歳の夏、函館開催であった。これだけ故障が続けば引退させられそうなものの、5歳まで辛抱強くデビューを待ち続けた藤沢和雄調教師。それだけでもこのレディブロンド、そしてウインドインハーヘアの血が期待されていたということが分かるだろう。
しかし衝撃はこれだけでなかった。デビュー戦に選んだのは、なんと1000万特別、芝1200mのTVh杯。そしてこれを出遅れながら最後方からの追い込みで勝ってしまったのだ。デビュー戦で1000万のレースをいきなり勝利。しかも直線の短い函館で、出遅れて直線一気の末脚で勝ってしまった。
どれだけの素質を秘めた馬なのか。その期待を裏切りはしなかった。夏から秋にかけて、500万、1000万、1000万、1600万と、デビュー戦からの連勝を5に伸ばした。
遅れてきた大物。そんな言葉がぴったりのこのレディブロンド。続いてのレースは、G1スプリンターズSだった。
結果は、4コーナーで大外を回って、最後は前に届かず4着だった。しかし、デビューからわずか6戦目、そして初のG1スプリンターズS挑戦で4着という成績は、普通の馬では成し遂げられない偉業だろう。それも、負けた3頭というのは、デュランダル、ビリーヴ、アドマイヤマックスという、1200mのG1を制した、あるいは後に制する馬達だった。
しかし、5年間レースに出たことがなかった馬が、たった3ヵ月半の間に6レースに出走したためか、疲れや、繁殖入りの約束などが重なって、この6レースで引退となってしまった。
3ヵ月半の短い短い競走馬としての実働期間。しかし、その短い夏の間に、英雄ディープインパクトの姉としての名に恥じない活躍を見せてくれた。
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2009年03月26日

競馬MEMORY〜第16話〜

競馬MEMORY〜第16話 切れ味鋭い名刀〜

前回取り上げたブロードアピールがダートの短距離で衝撃的な追い込みを見せた馬なら、芝ではこの馬だろう。デュランダル。
新馬戦、休養を挟んで叩き2走目の500万と順調に勝ち上がると、続く1000万では、33秒6の末脚で差しきり、1600万では33秒3の豪脚で一気の追い込みを決めて勝利。その直線での追い込みの速さのごとく、あっという間にオープンまで駆け上がった。
するといきなりG1のマイルCSに挑戦。初のG1の舞台で、メンバー最速の上がり34秒1を記録するも、最後方からレースを進めたこともあり、10着と、前に届かず終わる。
しかし、オープンクラスに壁があったわけではなかった。続くディセンバーSは1800mの距離の壁に敗れるが、1600mのニューイヤーSでは34秒3の上がりで差しきり勝利をあげた。
次の中山記念も距離が長く敗れるが、休養後のセントウルSで強豪相手に33秒3の上がりで突っ込んできて3着に入り、次のスプリンターズSに駒を進める。マイルCSでは届かなかった豪脚が、1年後にどれだけ通用するようになっているのか。相手は前年の覇者ビリーヴや、後に高松宮記念を制するアドマイヤマックスなどが揃った。
レースでは、マイルCS同様に最後方からのレースとなり、4コーナーでは大外を回って、直線に向くがまだ後方2頭目。中山の短い直線では届くはずがなかった。前は好位からビリーヴが抜け出し、そのまま押し切る体勢に入っていた。しかし、それでもデュランダルは大外からものすごい脚で飛んで来た。上がりタイム33秒1。坂のある中山、しかもG1の大舞台で、自己最速の上がりタイムで直線一気の追い込みを決めて、初の重賞タイトルどころか、G1タイトルを手に入れた。このときのビリーヴの上がりタイムは34秒4。2着馬に1秒3も上がりタイムで差をつける、恐ろしい末脚だった。
この勢いに乗って、続くマイルCSに挑戦する。しかし5番人気と、まだ信頼されてはいなかった。直線の追い込みに頼る戦法は不安があるし、1800mで2回大敗していることからも、距離の不安もささやかれた。しかし、このときのメンバーは、後のデュランダルの活躍を考えると、ここで負けるはずがないメンバーだった。
直線に向いたときには、逃げ馬2頭が後続集団を5馬身ほど引き離しており、後続が差し届くのかどうかという展開になっていた。内外一杯に広がって前を捉えにかかる後続集団。そうなれば、末脚で負けるはずがなかった。馬群の一番外から33秒5の上がりで飛んできて、逃げ粘るギャラントアローを捕らえて勝利。G1連勝となった。
圧巻の追い込みでの2連勝だったが、問題はこの馬の怪我の多さだった。新馬戦後、中山記念後と休養を挟んでいるが、どちらも軽い怪我によるもの。このマイルCS後も怪我で、次走は翌年の高松宮記念に直行することになってしまった。さすがに小回り中京、しかも休み明け初戦ともなれば、追い込みが決まりにくく、33秒6の末脚を使うも、サニングデールをクビ差交わせず2着に敗れた。
すると再び怪我で、次は秋のスプリンターズSとなった。このときの馬場状態は不良。追い込みが届きにくい展開で、結局カルストンライトオの一人旅を許してしまう。しかし、デュランダルも休み明けながらきっちり追い込み2着に入る。すると、ようやく順調に駒を進めた次のマイルCSでは、力の違いを見せつけ、33秒7の上がりで2着に2馬身差をつけて完勝した。
完全復活を思わせたデュランダルは、次に香港マイルに挑む。しかし、レース当日に香港の主催者によって馬場に大量の水が撒かれ、この年のスプリンターズSよりも悪いというほどの馬場状態になっていた。そのため、追い込み届かず5着に敗れた。
このレース後、再び怪我に悩まされたデュランダルは長期休養を余儀なくされる。復帰戦は秋のスプリンターズS。またしてもG1の大舞台に直行することとなった。このレースには、香港の最強スプリント馬、サイレントウィットネスが出走していた。香港で17連勝した後、マイル戦で2回敗れるも、1400m以下では無敗を誇っていた怪物だった。
レースがスタートすると、サイレントウィットネスは、楽な手ごたえのまま先頭集団に取り付き、デュランダルはいつもどおり、サイレントウィットネスとは正反対の戦法、追い込みに徹する形となる。
直線に向くと、サイレントウィットネスが早めに先頭に立ち、そのまま押し切りを狙うところに、やはり大外からデュランダルがものすごい脚で飛んでくる。しかし、相手は香港の怪物。デュランダルが自己最速の上がり32秒7という信じられない脚で追い込むも、前には届かず、2着に敗れた。追い込み馬なら、追い込み不発や展開不利といった言い訳が出来るものだが、このレースに限っては、何度見てもサイレントウィットネスに力負けしたという印象が拭えない。香港マイルに続いて、スプリントでも香港の高い壁が立ちふさがったのだった。
その後、この年もマイルCSに挑んだ。休み明け2走目に加えて、2連覇中のこのレース。しかもスプリンターズSで香港の強豪との好勝負をした後のレースということで、圧倒的な1番人気に支持された。しかし、レースは縦長の展開になってしまい、後方の届くはずもないところに位置していたせいで、メンバー最速の33秒2の上がりで追い込むも届かず8着に敗れた。勝ったのは、中団から33秒3の上がりで差しきったハットトリック。デュランダルとほぼ変わらぬ末脚を使っての勝利だった。
この敗戦でデュランダルは引退する。直線での切れ味鋭い末脚は、信じられないほどの安定感があり、日本国内のスプリントG1では6戦で連対するという偉業を成し遂げた。展開に左右されたり、不発に終わることの多い追い込み馬だが、この馬だけはそんなことがなかった。日本で走った17戦のうち、メンバー最速の上がりを記録したのは15戦。残る2戦は距離が長かった中山記念と、デビューから4戦目の33秒6の末脚で勝利したレースの2つであった。
一方、マイルCSを勝ったハットトリックは、デュランダルの後を継ぐかのような形で、香港マイルへと挑戦する。ここで昨年のデュランダルの雪辱を果たし、マイルCSに続いて見事に差しきり勝ちを収めた。
故障が多く、満足にレースに出られなかったデュランダルだが、異常なほどの破壊力を持ちながら、その威力を常に発揮する安定した末脚の鋭さは、「聖剣」の名に恥じないものだった。
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2009年02月02日

競馬MEMORY〜第15話〜

競馬MEMORY〜第15話 もう1つの衝撃〜

第13話で取り上げたのは、あの衝撃の武蔵野S、ジャパンCダートで最強の称号を手に入れたクロフネ。しかし、その同時期に、もう1頭ダート路線で競馬界に衝撃を与えた馬がいる。
その馬とは、クロフネと同じ松田国厩舎に所属し、同じ金子真人氏が所有する馬だった。それがブロードアピール。
デビューは4歳の秋と非常に遅かったものの、5歳の春にはすでにオープン入りを果たす。しかしそこからしばらくの間は目立つ存在でもなく、重賞でそこそこ活躍する程度の馬だった。
6歳の春、ようやくこの馬にスポットライトが当てられる。武幸四郎が騎乗したシルクロードS。普段は中団からレースを進める馬だったが、この時は後方3番手からレースを進めた。不良馬場の京都競馬場ともなれば、絶望的な位置であった。しかし、直線に向いてからは、独特な歩幅の非常に小さい、ピッチ走法で一気に追い込みを決めてしまった。そのときの上がりは不良馬場にもかかわらず34秒5。後にG1を2つ制するトロットスターを置き去りにする追い込みで、初の重賞制覇となった。
その後、高松宮記念ではメンバー最速の上がりを記録するがわずかに届かず、マイラーズCは距離が長く敗戦。シルクロードSは偶然だったのかと思われかけたとき、この馬に転機が訪れた。
それはダート2戦目の栗東S。この時期から追い込む競馬が身についてきたブロードアピールの才能はダートで開花した。重馬場で前残りの展開の中、大外から一気に恐ろしい末脚で追い込んできて勝利。上がりはダートにもかかわらず34秒1を記録した。
その後、再び芝で走るが、なかなか結果が残せず、再度ダートに挑戦する。東京1200mの根岸S。鞍上はシルクロードSで重賞初勝利をもたらした武幸四郎。このコンビ復活によって、この根岸Sが伝説のレースとなる。
レースは、スタートから最後方を進み、直線に向いてもまだ最後方であった。いくら東京の直線が長いとはいえ、残り400mでまだ最後方。誰もが届かないと思ったであろう。楽に10馬身以上は先頭との差が開いていた。しかし、そこから良馬場のダートでは有り得ないような上がり34秒3という追い込みを決め、直線だけで前を行く14頭全て交わしきって、しかも2着に0秒2の差をつけて勝利したのだった。この衝撃的な勝利で、一気に脚光を浴びることになった。このレースを、この年のベストレースに挙げる人も多かった。
追い込み馬といえば展開に泣いたり、時には不発に終わることもあるものだが、国内のダートレースでは全て3着以内を確保。しかも根岸Sと同じように一気の追い込みで、重賞タイトルをその後4つも手に入れた。追い込みに賭けるようになってからは、中央競馬のダートでは上がりタイムは悪くても35秒台というのは、この馬の末脚の凄さを表している。
8歳の1月には、再び伝説の根岸Sと同じ舞台、東京1200mのガーネットSで、弟の武幸四郎の根岸Sを参考にしたという武豊が騎乗して、同じ上がりタイム34秒3を記録して勝利を挙げている。
その次走、引退レースとなったのはドバイゴールデンシャヒーン、直線1200mのダートG1。本来ならこの年、クロフネがドバイワールドカップに挑むはずであったが、屈腱炎を発症してしまい、当時のダートの怪物2頭の競演とはならなかったが、ブロードアピールは世界の強豪相手に堂々と渡り合っての5着に入った。これはいまだにこのレースの日本馬最高着順である。
短距離ダートとなれば、当時はG1レースがなく、7歳のときにようやくJBCスプリントが設立された程度で、そのときは2着だった。G1タイトルを手にいれたクロフネとは違い、ビッグタイトルには恵まれなかったが、クロフネ同様にダート界に衝撃を残した1頭だった。
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2006年12月14日

競馬MEMORY〜第14話〜

競馬MEMORY〜第14話 史上最高のG3競走〜

近年は朝日杯FSよりもラジオたんぱ杯に有力馬が流れる傾向がある。それを象徴するようなのがこの年だ。
朝日杯はメンバーが揃わなかった。1番人気は札幌2歳Sで2着に敗れていたタガノテイオー。次の東スポ杯を勝利して挑戦した。しかし結果は2着。本命で収まることが多いこのレースにしては珍しく荒れた。勝ったのは10番人気メジロベイリー。
それもしょうがない。このレースに本当の有力馬はいなかった。とはいっても3着の地方馬ネイティヴハートは5年連続オーシャンS出走で、重賞格上げとなった5年目に、重賞制覇をやってのけた馬で、十分に力のある馬だ。勝ったメジロベイリーは故障で1年後に2レース走っただけで引退。さらにタガノテイオーはレース後に怪我で引退となったのだから、真の実力は分からない。それでも間違いなく、この年の真のG1競走は、年末のラジオたんぱ杯2歳Sだった。
その札幌2歳Sで勝利したのはジャングルポケット。さらに前回のこのコーナーで書いたクロフネ。そして新馬戦いきなり33秒台の上がりで勝利したアグネスタキオンといった期待馬が挑戦してきた。
人気は圧倒的1番人気にクロフネ、2番人気にタキオン、そして3番人気のジャンポケだった。
レースでは先行抜け出しを狙うクロフネ。しかし同じように上がってきたタキオンについて行くことができなかった。さらに最後には外からジャンポケに交わされた。結果は1着タキオン、2着ジャンポケ、3着クロフネだった。世代最強馬クロフネと思われていたなか、この結果は受け入れがたいものだったが、このレースで自身のレコードを更新され、さらには翌年のクラシック戦線で完全にこの常識は覆された。
外国産馬で当時はダービーしか出走できなかったクロフネは、皐月賞は観戦となった。その皐月賞、アグネスタキオンが楽勝。3着に敗れたジャンポケなどを抑えG1ホースとなった。その後怪我で引退したが4戦4勝の無敗馬。力の差は歴然で、世代最強馬といっても文句のない馬だった。
そしてジャンポケはその後ダービーでクロフネとの2度目の直接対決を制する。さらにはJCであのテイエムオペラオーを下す。
こうして、この時の上位3頭はすべてG1馬になった。それでもこのレースはG3だ。史上最高のG2が以前書いたサイレンススズカの毎日王冠なら、史上最高のG3はこのラジオたんぱ杯2歳Sだろう。
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2006年12月13日

競馬MEMORY〜第13話〜

競馬MEMORY〜第13話 衝撃の無敵艦隊〜

アグネスデジタルの天皇賞秋出走の裏で大きな影響を受けた馬。それがクロフネだ。
デビュー戦はまさかの2着だったが、続いての未勝利では小雨が降る中、後の菊花賞2着馬マイネルデスポットなどを相手にレコードタイムを1.2秒も更新する圧倒的な強さで初勝利。さらにエリカ賞では後の天皇賞春2着馬ビッグゴールドなどを相手にレコードを0.7秒も更新しての勝利。
しかし続いてのラジオたんぱ杯2歳Sではそのエリカ賞のレコードをさらに0.4秒も更新したアグネスタキオンなどに及ばず3着に敗れる。
それでも年明け初戦の毎日杯では、レコードに0.3秒に迫るという、この時期では考えられない圧勝で重賞初勝利。そして続いてのNHKマイルCも後方から34.1秒の脚で一気に差しきりG1勝利を決めた。このときの芝良馬場のタイム1分33秒0を覚えておいてほしい。ちなみにレコードは当時で1分32秒4だから遅いタイムではないことも分かるだろう。
その後のダービーではラジオたんぱ杯で2着のジャングルポケットなどに敗れ5着。夏の休養後の神戸新聞杯ではエアエミネムなどに3着と敗れてしまう。
次走の予定は天皇賞秋だったが、外国産馬登録枠でアグネスデジタルに阻まれるのがここだ。そのためクロフネは仕上がった体なのだからと、同じ週にある武蔵野Sに出走。初のダート戦だった。
レースは中団から馬なりで進むクロフネがいた。しかし先頭に並びかけていってしまう。「引っ掛った」と誰もが思った。しかしこれも馬なりだった。4コーナーを回っても武豊の手が動く気配はない。なのにもう先頭に立っていた。最後の直線、そのまま後続のG1馬イーグルカフェなどとの差は広がる一方。1分33秒3。東京良馬場ダート1600のレコードを良馬場にもかかわらず1.2秒も更新してしまった。それもNHKマイルCと0.3秒しか差はない。クロフネの秘められた本当の力を発揮する舞台はダートにあったのだ。
急遽次走はジャパンCからジャパンCダートに変更された。相手は海外の強豪、さらに日本のダート王者ウイングアローなどがいた。しかしクロフネはお構いなし。少し出遅れ気味でも、その後の成り行きは前走同様だった。馬なりで4コーナーを過ぎると先頭に立っていたのだ。昨年のウイングアローが記録したレコードをこれも良馬場で1.3秒も更新しての勝利だった。相手にならない。そういった印象を受けた。
日本から世界最高峰のダートレースを勝つ馬が現れたか。そういう期待が日本中に広まった。しかし、これほど強い馬には必ずといっていいほどの宿敵がいた。屈腱炎。引退。世界でのクロフネの勇士は見られなかった。
今後到底破られることはないだろうこのクロフネのダートでのレコード2戦。この競走がクロフネを歴史に残る名馬にした。
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2006年10月05日

競馬MEMORY〜第12話〜

競馬MEMORY〜第12話 送り込まれた万能刺客〜

当時、テイエムオペラオーがG1を6連勝し、そのレースの2着馬は全てメイショウドトウ。そしてついに宝塚記念でメイショウドトウがオペラオーを破り悲願のG1制覇を成し遂げたときだった。この2頭の争いに終止符を打つため送り込まれた馬がいた。アグネスデジタル。
そのレースは天皇賞秋。外国産馬登録枠は当時2枠しかなかった。そして出走できたのはメイショウドトウとアグネスデジタル。クロフネ、エイシンプレストンといった名馬が除外されてしまった。
ファンの多くはもちろんNHKマイルCの勝ち馬クロフネに出走してもらいたかったはずだった。しかしその願いもかなわず、アグネスデジタルに。
このアグネスデジタル、ここまでの成績はというと全日本2歳優駿を制しさらに名古屋優駿やユニコーンSと、完全にダート馬かと思われた馬だった。しかしクリスタルCやニュージーランドT3着のように芝でまったく走れないわけではなかった。武蔵野S2着となってその後挑戦したのはG1マイルCS。これを後方から直線一気でダイタクリーヴァやブラックホーク、エイシンプレストンといった強豪を封じ込めて勝利する。このときの人気は13番人気だった。
芝でG1タイトルを獲得したものの、その後の成績は振るわず再びダートへ。すると日本テレビ盃に加えダートG1南部杯まで制してしまった。しかし次走は再び芝の天皇賞秋だった。これがその天皇賞秋である。
レースはメイショウドトウを最後の直線でテイエムオペラオーが交わし完全に抜け出して勝利を確信したときだった。重馬場で切れ味が鈍るかと思われたがダートで走っていたこの馬には関係なかった。後方一気でオペラオーを交わして勝利する。メイショウドトウも3着に粘り、結果、選ばれた2頭の外国産馬は間違っていなかったということになる。ダート界から送り込まれたまさかの刺客だった。これでクロフネ、エイシンプレストンファンも納得の結果となった。
そして勢いに乗ったデジタルは香港Cへ。そしてこの日、新たな歴史が生まれた。
昨年のマイルCSや天皇賞への出走権といい、とにかくアグネスデジタルに邪魔をされたエイシンプレストン、さらにG2を3勝しながらG1は19戦0勝の記録を持つステイゴールドとともに、香港でのG1を日本馬が3勝したのだ。日本馬が世界でも通用する時代となっていった。
そしてアグネスデジタルはまたもダートでフェブラリーSを制し、ついにドバイワールドカップへ。世界最高峰のダートレースに期待は高まったが6着に敗れる。
その後は再び芝へ。それも香港クイーンエリザベスC。しかし香港には強敵がいた。それがエイシンプレストンだった。香港でG1を3勝したように、香港では負けられなかった。ここまで邪魔をし続けたプレストンに敗れる。しかし、香港でありながら日本馬でワンツー決着となった。このとき、香港は日本に染まっていた。
その後はかきつばた記念が距離が短いという理由もあって敗れたが、安田記念を勝利し、6個目のG1タイトルを獲得。それを最後に勝ち星はなく引退となった。
中央での29戦中1番人気はたったの8戦。また芝のレースではG1しか勝利がないという変わった馬で合計でG1を6勝した馬とは思えないが、中央、地方、海外、芝、ダート問わずどんな場面でも勝利を収めたこの馬は最強の万能馬であった。
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2006年08月16日

競馬MEMORY〜第11話〜

競馬MEMORY〜第11話 受け継がれた血筋〜

エイシンプレストンが朝日杯以後、日本のG1を勝利できなかったということはすでに書いたが、その中でも1番惜しかったのは、2着との着差がクビのマイルCSだった。
そのときのマイルCSの勝ち馬はトウカイポイント。セン馬だった。5歳の秋にようやく完全なオープン入りを果たすがぱっとしない。いきなり6歳で中山記念を勝利し大穴を明けたが、その後は人気も成績も両方とも低いまま。フロックと思われたが札幌記念でいきなりものすごい追い込みで2着に飛んできた。
好走をするものの、まだ次の富士Sは6番人気の5着と評価は低く、いい成績も収められない。そんな中、マイルCSに挑戦。評価は低く11番人気だった。騎手は蛯名正義。それでも、ムラはありながらもG1を勝つ力は秘めていたのだろう。エイシンプレストンの追い込み届かず、トウカイポイントがG1を制覇した。これが父トウカイテイオー産駒初のG1制覇となった。
その後は勢いに乗って香港マイルに出走。ここでも3着でアドマイヤコジーンに先着し、完全に力をつけた晩成馬だった。それでも次走の中山記念の人気は2番人気と、なかなか完全な信頼を得ることはできなかった。その中山記念では怪我で競走中止。そのまま引退となってしまった。
父トウカイテイオーは、無敗で2冠を達成し、3冠確実といわれながら怪我で3冠を達成できなかった。その後も度重なる怪我に苦しみ、また天皇賞秋で惨敗した次走いきなりジャパンCを勝利し、その後の有馬記念でまた大敗という成績でファンの信頼も失いつつあった。その1年後、怪我からの復活でいきなり有馬記念を勝利し感動の復活を遂げ引退した名馬だった。トウカイポイントは父とは違って目立つことはなかったが、父同様にムラがあり、最後には怪我で引退。現段階ではトウカイテイオー産駒の最高傑作であり、その親の血をいい面も悪い面も正確に受け継いだ名馬だったのだろう。
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2006年08月10日

競馬MEMORY〜第10話〜

競馬MEMORY〜第10話 中央に響いた名声〜

地方競馬所属の馬で中央競馬のG1レースを勝った馬は岩手のメイセイオペラただ1頭。しかし、メイセイオペラと同時期に活躍した地方の馬がいた。
アブクマポーロという船橋の馬だ。地方では30戦して22勝。圧倒的な強さを誇った。中央への挑戦はオールカマーが初戦だった。もちろん芝に出走することに誰もが戸惑いを感じた。結果は予想通り敗退。本来ならダートで走るべきであった。そしてその2走後、G2の東海ウインターSに挑戦した。そこで、中央でも通用する地方ナンバーワンホースの実力を見せ付けて勝利。そしてその後も地方で勝ち続けた。しかし残念ながら中央のG1に挑戦はしなかった。それでも地方最強馬ということを印象付けた。
その後遅れて来た岩手のスター、メイセイオペラとの時代となった。地方ではこの2頭がとにかく活躍した。しかし、メイセイオペラはアブクマポーロには劣っていた。地元岩手の南部杯で勝利をし、G1タイトルを獲得したものの、その後の対決では再び敗れた。まだメイセイが本格化する前の対決もあったが、4戦1勝とアブクマには勝てなかった。最後の対決は東京大賞典でアブクマポーロの2着だった。そしてその後中央G1フェブラリーSに挑戦した。前走負けていることもあって、アブクマなら勝てるかもしれないという不安と、南部杯での勝ち方が強かったうえ、東京大賞典では中央の馬には負けていないのでメイセイオペラは勝てるという期待の2つに分かれた。
2番人気に推されたメイセイオペラは得意の先行抜け出しの競馬で歴史に名を刻んだ。見事フェブラリーSを制した。もしもアブクマが出走していたらワンツー決着の可能性が高かったという声もあった。
その後アブクマポーロは引退し、メイセイオペラ1頭の時代となった。しかしそれも長くは続かなかった。明らかな衰えで、フェブラリーSから5連勝したものの東京大賞典では11着と大敗。続いてのフェブラリーSでも3番人気とさすがに人気を下げた。
そうはいっても、地方馬の連覇という偉業に期待を寄せた。いくら衰えていても強い馬であることには間違いなかった。その期待を乗せて走った。しかし先行抜け出しで粘ったものの直線で差され4着に敗れてしまった。
地方競馬というものは目立たないものだ。しかしその地方で2頭ものスターが誕生し地方のみならず中央競馬界をもにぎわせてくれた。
なんといっても、ダートグレード競走最優秀馬に1998年アブクマポーロ、1999年メイセイオペラと2年続けて地方の馬が選ばれるということは偉業であった。
歴史に名を刻んだ名馬。地方競馬と中央競馬との差が縮まっていることは言うまでもない。
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競馬MEMORY〜第9話〜

競馬MEMORY〜第9話 復活から世界へ〜

アドマイヤコジーンが勝利した朝日杯の2着馬はエイシンキャメロンだった。そして翌年、1頭の馬がリベンジを狙って出走した。同じエイシンを冠名に持つエイシンプレストンだった。
新馬戦は後の皐月賞2着馬ダイタクリーヴァに敗れたが、次走を勝利して朝日杯に出走してきた。前走0.9秒差の圧勝から4番人気に推された。
ここには1頭の伝説を狙う馬がいた。レジェンドハンター。地方競馬所属で初の中央芝のG1タイトルを手にしようと出走してきた。デイリー杯2歳Sを勝利しての出走だった。同年のフェブラリーSではメイセイオペラが地方競馬所属で初の中央ダートG1タイトルを手にしていた。この馬もなんとしても中央競馬の歴史に名を刻もうと挑戦。1番人気となった。
レースは先行したレジェンドハンターがいい手ごたえで先頭に立った。地方競馬界の悲願達成の瞬間はすぐそこだった。しかし2頭の馬が後ろから飛んできた。そのうちの1頭はレジェンドハンターを交わして勝利し、レジェンドハンターを2着に追いやった。それがエイシンプレストン。レジェンドハンター、そして地方競馬の夢を打ち砕いたのだった。
その後エイシンプレストンは外国産馬のためNHKマイルCの有力候補とされた。きさらぎ賞こそ出遅れ、引っかかり散々なレースだったが、アーリントンC、ニュージーランドTと連勝。次走はNHKマイルCというところだった。しかしここで骨折しG1の2勝目から遠ざかってしまう。
怪我はそこまでひどくなく10月に復帰はできたものの重賞を8戦走りマイルCS5着、ダービー卿CT2着といったくらいの成績でしかなかった。そして次に選んだのはオープン米子S。重賞をあきらめての出走。これが好結果につながった。見事勝利し勢いづいたプレストンはG3北九州記念も勝利した。
苦悩からの脱出だった。その後は関屋記念3着、毎日王冠1着、マイルCS2着とG1馬としての力を堂々と示した。しかし物足りないものがあった。それはG1勝利がないこと。朝日杯の勝利からG1は勝っていない。
そして次走、朝日杯の勝利から2年後にこの馬は海外遠征を行った。香港マイルへの出走だった。この舞台で完全復活を成し遂げた。3馬身以上の差をつけての勝利となった。ちなみに、このときの香港では日本馬がG1を3勝するという史上初の快挙を成し遂げている。
完全復活後、この馬は香港での活躍が主流となった。60キロの斤量はさすがに厳しかった中山記念で敗戦するも、その後挑戦した香港G1クイーンエリザベスCで、史上初となる海外G1日本馬でのワンツー決着を演じた。勝ったのはエイシンプレストン、2着にアグネスデジタルだった。
しかし日本帰国後はまたも苦しい戦いとなる。安田記念で朝日杯を勝利した先輩のアドマイヤコジーンに敗北、その後4連敗。迎えた得意の香港の舞台では不利もあり敗戦。さらにはダートのフェブラリーSにまで挑戦したが6連敗となってしまった。この馬の限界を感じかけた。
再び挑戦した香港のクイーンエリザベスC。昨年の力はなくなっていると思われた。しかしこのレースでプレストンは2着に0.3秒差をつけて勝利を収めた。日本馬初の海外G1を3勝という偉大な記録を打ち立てたのだった。この記録で力を使い果たしたのか、最後は日本で2連敗、得意の香港で7着となり引退となった。
結局この馬は日本のG1での活躍は朝日杯のみとなった。さらには日本での勝利は4歳の毎日王冠が最後となった。アドマイヤコジーンと共に2年続けての苦悩の日々があった2歳王者。しかし2頭とも2歳王者の称号だけでとどまることはなかった。
さらにエイシンプレストンには強く結ばれた絆があった。この馬がデビュー当時、まだデビュー4年目でG1を1勝しかしていなかった福永祐一騎手である。福永はこの馬から離れることはなかった。苦悩の続いた日々も海外も合わせてこの馬の32戦全ての手綱を取った。そうして福永はエイシンプレストンと共に成長することとなった。そうして今や関西のトップジョッキーの仲間入りを果たしている。
日本から海外へと飛翔したエイシンプレストンは、1頭だけでなく福永祐一騎手と共に飛翔していった。
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競馬MEMORY〜第8話〜

競馬MEMORY〜第8話 王者の復活〜

朝日杯FSの勝者というのはあまり出世していないのが現状だ。その昔の朝日杯3歳Sのころは数多くの名馬がこのレースの勝利から出世していった。
3冠馬ナリタブライアンもこのレースを勝利している。そしてあのグラスワンダーが圧倒的なレコードで勝利した翌年のことである。4戦目を3連勝でこのレースの勝利を決めた馬がいる。アドマイヤコジーン。無傷の3連勝で出走してきたエイシンキャメロンを抑えての勝利だった。
もちろんこの馬も出世街道に走るものだと思われた。しかしここで怪我と戦うことになってしまう。2度の骨折で2年近い休養を余儀なくされた。この裏側に、同じ橋田厩舎のアドマイヤベガがいた。良血馬として注目を浴び、朝日杯の後のラジオたんぱ杯を勝利した。そしてアドマイヤコジーンが怪我をしている間にダービーをも制覇した。秋に怪我をして予後不良となった同厩舎のサイレンススズカのためにもなんとしても勝ちたかったのだろう。
しかしアドマイヤコジーンのほうは4歳夏まで帰ってこなかった。復帰初戦はUHB賞。G1ホースの面影はなかった。そしてこのまま1年以上もの間勝ち星から遠ざかってしまう。12戦走って2着が精一杯だった。4歳夏の復帰から5歳の終わりまで勝ちはなかった。
そして再起を誓って迎えた6歳の初戦は東京新聞杯。騎手も後藤浩輝と心機一転、再出発を願った。その初戦は誰もが嫌がる不良馬場での開催となった。人気は10番人気。期待は薄かった。だが不良馬場が先行有利とは言ってもここまで番狂わせが起こるとは思いもしなかった。2番手でレースを進めたアドマイヤコジーンは直線抜け出し、まさかの勝利を収めた。
誰もが驚いたこのレース。しかしそれは決してフロックではなかった。次走の阪急杯では2番人気となり見事すぎるレース運びで2着と0.6秒もの差をつけての勝利。完全復活を思わせた。しかし次走高松宮記念では快速馬ショウナンカンプから先頭を奪うことができず2着に敗れた。
ただこの馬の得意な距離はマイルだ。朝日杯も1600mだった。そしてその舞台での対決となった安田記念。しかし人気は高松宮記念の2番人気から7番人気まで下がっていた。1つ下の世代の2歳王者エイシンプレストンが1番人気に推されていた。しかし3年以上の勝ち星に恵まれなかったアドマイヤコジーンは、ここでようやく汚名を完全に払拭した。大外枠ながらこのG1安田記念を勝利し、G1ホースの完全復活を見せ付けたのだった。
6歳ということもあり、復活したのは引退間近だった。この後の3走は全てG1レースに出走。全て敗れてしまったが、最後には香港マイルにも出走し勝ち馬とクビ、ハナ、ハナ差まで詰め寄った。
引退後、種牡馬入りしこの馬の産駒がデビュー。種牡馬としても波乱の生活を送るかもしれない。しかし、アドマイヤコジーンがマイルの王者であったことは間違いない。
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競馬MEMORY〜第7話〜

競馬MEMORY〜第7話 快速スプリンター〜

脚元が不安でデビューからダートで過ごす馬は多くいる。そして年をとって芝に挑戦する馬は多々いる。そんな馬はなかなか出世しないものだ。しかしこの馬は芝に挑戦することで真の力を発揮した。それがショウナンカンプだ。
芝のレースを使うようになり、山城S、オーシャンSと先頭を譲ることなく連勝。着差は共に0.4秒。完勝だった。山城Sでは後のG1馬となるビリーヴにも勝利していたうえ、逃げ馬ながら上がりタイムが1番速かったことからスピード能力の高さが分かる。
そして次に挑戦したのはG1高松宮記念。ここにはG1馬トロットスターやスティンガー、アドマイヤコジーンの姿があった。しかしこの馬には関係なかった。圧倒的なスピードを中京の舞台でも見せつけ見事な逃げ切り勝ち。0.6秒もの差をつけた。ちなみに、G1になってからの高松宮記念を逃げ切って勝利した馬はこの馬1頭である。重賞初挑戦、芝3戦目でいきなりG1を制覇した。
この後、函館スプリントS、スプリンターズSと挑戦するも直線で失速。惜しくも敗れてしまう。そしてスワンSに出走。初の芝1400mという距離と斤量59キロに不安はあった。しかしこの馬のスピードは変わらなかった。見事逃げ切っての勝利。2着との差は0.5秒差だった。
圧倒的なスピードを誇ったこの馬はG1香港スプリントに挑戦した。しかしここでは10着と大敗する。ただ、この馬のスピードは計り知れないものがあった。帰国後の阪急杯では59キロを背負いながらサニングデールやビリーヴを相手に見事なスピードで0.4秒もの差をつけて勝利した。
次は連覇を狙った高松宮記念。相変わらずこの馬の軽快な逃げは続いた。1200mという短い距離をグングン逃げた。しかし7着と大敗。残念ながらこの後スピードのある馬に発症しやすい屈腱炎で引退となってしまった。
しかしこの馬はスタートダッシュで先頭を譲ることはなかった。さらに勝つときは圧倒的な差をつけた勝ったことからも、調子がよければかなりのスピードとスタミナをもっていた馬だ。計り知れないスピードと実力のあったこの馬はスプリント界の王者と言ってもおかしくない。
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競馬MEMORY〜第6話〜

競馬MEMORY〜第6話 世界を制する遅れてきた大器〜

この馬の競走馬としての始まりはあまりよくなかった。というものの、ゲート試験に3回落ちたために3歳4月のデビューと遅れをとってしまった。しかしそこからは違った。
未勝利、500万とダートを連勝。つづいては芝のオープン菖蒲Sも勝利。タイキシャトル。見事な3連勝だった。
そのころ、この馬が得意とするマイルのG1NHKマイルCを牝馬シーキングザパールが勝利していた。もちろんこの馬としてはデビューが早ければこのレースをという思いはあったはずだ。菩提樹Sではまさかの逃げ切りを許し2着に敗れるも、デビューの遅れの鬱憤を晴らすかのように、久々のダートでG3ユニコーンSを勝利。さらに勢いに乗ったまま古馬との対決G2スワンSで対戦した。この馬の勢いはとどまるところを知らなかった。
スワンSを勝利し、G1マイルCSに挑んだ。キョウエイマーチの引っ張るハイペースにも屈することなく見事な先行押し切りで2馬身半の差をつけて完勝。見事G1馬となった。さらにはスプリンターズSにも挑戦。ここでも変わることなく先行押し切りで0.3秒差の勝利。同一年に秋短距離G1を連勝した馬はこの馬が初めてだった。これによって3歳ながら最優秀短距離馬に選ばれた。
翌年は京王杯SCから始動。休み明けでも強さが変わることはなかった。見事なレコードでの勝利。タイキシャトルに敵はいなかった。さらには安田記念に出走。大雨で不良馬場となり少し不安もあった。さらにはここで3歳マイルチャンピオンのシーキングザパールとの初対決となった。世代最強の称号をかけての勝負。しかしシーキングザパールは10着と惨敗。タイキシャトルは見事な勝ちっぷりで人気に応えて勝利。タイキシャトルの強さが目立つ結果となった。
その後、タイキシャトルは海外遠征を発表。さらには敗れたシーキングザパールも海外に行くことを表明。2頭が夏に海外での競馬を行うことになった。
先に走ったのはシーキングザパール。安田記念の惨敗で評価は低かった。しかしその低評価を覆して見事海外G1を制覇。これが日本調教馬初の海外G1制覇となった。これによってタイキシャトルには勝って当然といわんばかりの期待があった。シーキングの勝利から1週間後、タイキはフランスのG1ジャック・ル・マロワ賞に挑戦した。先週の日本馬の活躍もあり海外でも圧倒的1番人気。その周囲の期待に応え、見事日本馬の2週連続海外G1制覇という偉業を成し遂げた。
帰国後は見事マイルCSを連覇。5馬身という差をつけての圧勝でマイル路線に敵はなかった。そして次走のスプリンターズSで引退と決まった。さらにはレース後の引退式も決定となった。
レース当日、タイキシャトル一色に染まった競馬場はタイキシャトルの完勝とその感動のまま引退式が行われることを誰もが予想した。単勝は1.1倍まで下がった。いつものごとく先行抜け出し。そして最後の直線に向いてここから突き放すはずだった。しかし伸びきれない。後ろから2頭の馬が迫ってきていた。その中にあのシーキングザパールがいた。徐々に迫り来る2頭。そしてアタマ、クビ差交わされ3着に敗れた。
1着はマイネルラヴ。タイキシャトルの1つ上の最強世代と呼んでいるあの世代の1頭で、グラスワンダーが勝った朝日杯の2着に入線した馬だった。マイネルラヴ、グラスワンダー、アグネスワールド、エルコンドルパサー、スペシャルウィーク、セイウンスカイ。ほかにも5歳で高松宮記念を制したキングヘイロー。さらに安田記念でグラスワンダーを負かし、G1を2勝したエアジハードと非常にレベルの高い世代だったことに違いはない。
そして2着にシーキングザパール。最後の最後で直接対決に敗れてしまったがこの馬との対戦成績は3戦2勝だった。しかしその数字以上にこの2頭にはつながりがあった気がするうえ、日本だけでなく世界でも競馬を盛り上げてくれた。
まさかの敗れての引退式。しかも連対をはずしたことは今までなかったのだ。そうはいっても、ユニコーンSからマイルCSまで続いていた重賞8連勝は新記録。さらには短距離専門の馬で初めて年度代表馬にも選ばれた。極めつけにフランスの最優秀古馬にまで選出された。
マイル7戦7勝。日本競馬史上最強のマイラーの呼び声も高い。ただ、有馬記念ファン投票で8位に選ばれたように、例の最強世代グラスワンダー、エルコンドルパサーなどとの対決を見たいという声もあった。その願いはかなわなかったものの、タイキシャトルは彼らが達成できなかった、顕彰馬入りを果たした。今は種牡馬生活を送っている。この馬の強さを引き継いだすばらしい短距離馬を輩出してもらいたい。
posted by ナイト at 22:41| Comment(0) | 競馬MEMORY | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする